ポケモンGOの思い出

ポケモンGOをプレイしたことはないのだが、かなり印象的な思い出がある。

高三の夏、放課後にクラスメートと二人で学校近くの公園に行った。ベンチで文化祭の準備について話し込んでいた。たぶんそれだけじゃなくて、いろいろな話をしたと思う。

日が暮れたくらいの時間から、続々とスマホを片手に持った人が集まり始めて、あちこちで立ちすくんで何かやっていた。とても奇妙だった。

二人で「あれなんなんだろうね」と言っていたのだがポケモンGOのリリース日で、彼らはそのプレイヤーだったのだ。俺も相手もそのときはまだその存在すら知らなかった。それから高校でもじわじわと流行っていったのだが。

もう六年が経とうとしている。いまではまれに電車などでポケモンGOをやっている人を見るとまだやっているんだと懐かしい気分になるが、それくらいの歳月が流れたわけだ。ポケモンGOどころかついこないだのピクミンブルームも話題に上らない。

その日公園で何時間も話していたら、中学の塾以来の付き合いで、それまでまったく意識したことはなかったのに突然相手のことを好きになってしまい、そんなこともあるんだなと思った。公園の奇妙な光景によってなんらかのホルモンでも出たのかもしれない。

その人とは互いに大学に入ってから一瞬付き合ったがすぐ振られた。「ポケモンGO リリース日」と検索するとその人のことを好きになった日がわかるのがなんだか変だ。2016年7月22日。


さっきある人のブログを読んでいたら、その時期の記事にポケモンGOのくだりがあって、それで思い出してこんなことを書いた。

文章(深夜の暇つぶしとして)

僕はあと二週間程度で週に五日、七時間ずつ(八時間でないのは雇用者の良心と言えるかもしれない)働く代わりに毎月二十数万円程度の金銭を得るという契約を結ぶことになる、実際にはそれは既に結ばれていて、僕がPDF形式の内定承諾書に電子署名をした時点で始期付解約権留保付労働契約を結んだことになるので、その始期が訪れるというのがより正確な表現だが、それによって労働を余儀なくされる。

もちろん僕には契約自由の原則があって、それを締結するだけでなく破棄することも可能だが、そもそも(消極的であるにせよ、それこそ契約自由の原則によって)自らの意志でその契約を結ぶに至る一連の通過儀礼を経験したわけであり、契約を結ばずに今の状況を維持していても状況が改善するとは思えず、実際にここ五年ほどで自分を取り巻く状況は改善するどころか、可能であると思われた経路に足を踏み入れてはそれが閉ざされていることを確認するという手順を繰り返しただけで、自分が取れる手段はそう多くないという認識を経て、ようやくこの道に到達したわけだが、午前三時半に、眠気を感じないわけではないが現実に眠ることとの果てしない距離を感じているような人間にはおそらくその道も閉ざされているに違いない。

幸いにして、労働条件通知書には「フレックスタイム制コアタイムなし」と書かれてはいるものの、労働時間について「八時から二十一時まで」という制約が加えられており、かといってその範囲ならば好きな時間に仕事を始めてよいわけでもない、そのすぐ下には「通例:十時〜十八時」と慎ましく、かつ注意深く記されており、その通例が本当に単なる一般的な事例に過ぎなければ良いが、そうではなく(開始時刻については)遵守すべき項目であることは言うまでもない。

睡眠に対して、生まれてこの方困難を覚えているが、実際には睡眠そのものは僕を苦しめず、起きていればやがて眠くなり、自然と眠りに落ち、しかるべき時間熟睡することができる。つまり自分を苦しめるのは睡眠ではなく、適切に睡眠を取りつつ毎日決められた時間に行動することで、だから生まれてこの方というのは噓で、幼稚園に入って以来というのが正しいが、自由なやり方であれば睡眠とうまく付き合っていくことができるのに、それを制限して睡眠を管理せねばならないというのがたまらなく苦痛で、しかし自分が雇用主ならば多少ぼんくらであっても夜はすぐ眠りにつけて朝はすっきりと目覚めることができ、毎朝九時には律儀にオフィスで業務を開始している労働者を採用したいのだし、世の中にはどちらかといえば優秀で、かつ毎朝律儀さを見せることのできる労働者がいるので、彼らを圧倒的に上回る才能を発揮するならまだしも——それであっても同等の才能を持ちそのうえ毎朝律儀さを上司に見せることのできる人間がいくらでもいるわけだが——まかり間違ってもそうではないので、どうにか睡眠を管理していく必要があり、そしてその試みはことごとく失敗してきた。

睡眠の管理は自分にとって最も憂うべき事柄の一つだが、仮にその問題が解決したとしても、ここは依然として愚にもつかない場所であり、たとえば僕はチョコボールの「キャラメル」が好きだが、それはかつてコンビニで七十四円で買え、いまでは八十四円であり、自分が初めて買ったとき四百五十円だったセブンスターは六百円になり、僕が物心ついた頃はたしか二百円台だったと思うが、賃金は大して上昇していないのに(場合によっては下落しているのに)人生に絶望しなくて済むための手段にかかる費用は上昇し続けており、最近では複数人でアルコールを飲むことで一時的に現実から逃れるための会合も、感染症の流行を踏まえて良識ある人々の間では制限され、また良識があろうとなかろうと、種類提供は午後八時までという愚かな規則が適用されている店が大半で、そうでなくともアルコールとニコチンを同時に楽しめる店は大幅に減少していて、ここはどのような世界なんだと思う。

入学時にそれなりの選抜を課す高校と大学に在籍していたため、周囲には一流企業に勤める者も多く、彼・彼女たちは一流企業に就職するに留まらず、就職するやいなや証券会社の口座を開設してNISAだかiDeCoだかくだらない名前のついた資産運用の取り組みを始めるという如才なさを見せているものの、毎朝律儀に出勤することのできる彼らであっても、その賢さを鑑みれば、自分は老後の資産を形成するために生まれてきたのかという疑問を抱いているはずで、持ち前の要領の良さでその疑問を上手く放棄しながら出勤し、誰も幸福にすることのないが、人々に老後の安心という実体のないもの——いくら金があっても安心できる老後などない——をもたらす金融商品を開発したり、とってつけたような緑地やアートスペースを設けることで、消費者にややましな休日を送っているという幻想を抱かせることを目論んだ商業施設を企画したりして、世界をさらに愚にもつかないものにするべく必死に働いているのだろうが、それはやがて我慢できないものとなり別の道を模索してあえなく失敗し、なけなしの退職金や形成した資産をふいにして失意のうちに死ぬか、あるいは我慢し続けることに成功したものの「これはなんだったのか」という疑問が浮かぶのを必死で覆い隠しつつ、形成した資産を特別養護老人ホームで切り崩しながら死ぬのだろう。

このような文章を書く割に楽観的なので、何かしらまともな道が残されているのではないかという希望を未だ失っていないが、それも若さゆえに可能なことであり、あと二十年もすればその希望はほとんど完膚なきまでに損なわれているだろう。四十四歳の人間には来るべき将来などなく、ただおおむね定まってしまった人生をせいぜいこれより悪くならないように必死で維持しようとするものの、避けることのできない身体の衰えによって否応なく悪くなっていくという過程を大方の人が経験しているに違いない。もしかすると子供を持つことによって、その成長を生きる望みとして、あるいは義務として、かろうじて命をつなげているのかもしれないが、子供の人生はどこまでも子供の人生であり、実際のところ自分の人生、特にその意義とはほとんど関係がないのだし、子供からすれば人生の目的が自分である親を見ながら育つのは暗澹たる経験である。それよりも自分の人生を追究した結果離婚する親の方が随分見ていて愉快だと思うが、その過程で財産を失ったり犯罪に走ったりすると、結局は子供の人生も不快なものとなる。どの道彼もやがて四十四歳になり、同じ立場に置かれるのだが。

一体どこに救いがあるというのだろうか? 僕は世の中に多くのことを求めすぎているのだろうか? 二十一世紀の先進国に生まれただけ、自分の幸運に感謝せねばならないのだろうか? なるほどその考え方は一理あるかもしれないが、そんなものはこの苦境をいささかも改善せず、なぜならこの苦しみは二十一世紀の先進国に生まれたがゆえに生じているものだからで、しかし十六世紀のフランスであれば別の苦しみがあっただろうし、それよりは僕はいささか高次の段階で苦しんでいるのかもしれないけれど、二十五世紀のラオスであってもまた別の苦しみがあるのだろうし、それは想像がつかないが、どのような時期にどのような場所で生まれても苦しみからは逃れ得ないのだろう。

人生で最もましだった時期が大学時代だった、という結論に至る可能性は七割よりは高いと評価していて、これはかなり楽観的なもので、実際には九割より高い。残りの一割弱に、二十代後半から三十代前半だった、という可能性が残されている。それであれば、僕はいま人生で最も輝かしい時間の終わりを目の当たりにしているのであって、こうした文章を書いてしまうのも仕方のないことだろう。新聞配達のバイクが、朝が到来しつつあることを告げている。眠れない夜は困難であっても豊かだが、眠れない朝は困難であるだけでなく悲劇である。

2022年3月15日 火曜日

生活リズムが終わっていて、本を読むことと文章を書くことしかできない。

昨日と今日でウエルベックランサローテ島』・『地図と領土』、信田さよ子『カウンセラーは何を見ているか』を読んだ。読書は(基本的には)金のかからない趣味でありがたい。

先週まで活動的に過ごしてきたせいかすべてがどうでもいいという気分になっている。躁鬱というよりはどちらかというと静と動という感じがする(それが躁鬱ということかもしれないが)。


信田さよ子『カウンセラーは何を見ているか』(医学書院)は、原宿でカウンセリングセンターを営む臨床心理士が著した本。精神科の病院やクリニックから独立した「開業カウンセラー」の第一人者として経験したことが記されている。

読みやすい筆致だがそんなに面白くない。著者は(臨床心理士として、起業家として、経営者として)、かなり面白い経験を積んでいるはずなのだがそれらについての記述があっさりしていて物足りない。

また途中、筆者の幼少期の出来事として、知的障害を持つ少し年上の男子とみなで親しくしていたこと、その男子が中学に入り少し疎遠になったときに山で遭遇したこと、彼が叫び声のようなものを上げて、それが怖くて一緒にいた友達の女子と一目散に逃げたことが書かれているのだが、それを性暴力の恐怖によるものと結論づけていた。筆者の恐怖やその理由を否定するわけではないが、実際には知的障害の彼は何もしていないのに、またそのような意図があったかも定かではないのに、と思う。それは筆者も認識しているだろうし、怖いものは怖いのだから仕方ないが、臨床心理士という立場であり、性暴力の加害者・被害者、知的障害の当事者・周囲の人間についての知見もあるだろうに、随分配慮のない書き方ではないかと思った。

赤裸々と言えるかもしれないが、その赤裸々さは求めていない種類のものだった。知的障害を持つ年上の男子が野太い声を上げたら、女子としてそれはきっと怖いだろう。それが性的な恐怖というのもそうだろう。いくら臨床心理士だってその前に人間なんだからそりゃ怖いだろう。当時は心理学に通じてもいないわけだし。でも怖かったです、ではなくて、そこにもっと踏み入ってほしかった。単刀直入な感情の発露(それは何らの専門性もない我々が普段経験している)ではなく、その後の経験や学術的な知見に基づいた分析を読みたかった。その「名付けようもない経験」が今では「深く納得できる体験」となっているという記述があるのだが、その理路を書いてほしかった。

後半部は筆者が狭心症のため入院したときに感じたことが書いてあるのだが、なんというか「さすがカウンセラーである」というような感慨を抱かせるような描写はあまりなく、趣味の悪い人間観察としか思われない描写が続き(おしゃれなパジャマを着た入院患者の職業を娘と推測するシーンなど、電車内の退屈しのぎかと思う)、それなりに周囲を見て文章が書ける人ならばこれくらい書けるのではないかと感じてしまう。暇つぶしに読むのにちょうどいい程度の文章に終始している。

学術的な記述もほとんどなく、「経験からこう思いました」という結論だけが述べられていて、共感なんか要らないとかバサバサと書いていてそれは面白いのだが、それを裏付けるようなエピソードに乏しい(クライアントのことをあけすけに書くわけにはいかないとか様々な事情もあるのだとは思うが)。独りよがりに感じる。良いと思うフレーズは誰か他人から言われた言葉だったりする。『ケアをひらく』シリーズは評判だが、これはちょっと出来が悪いと思う。少女漫画めいた装幀や挿絵も効果をあげているとは言いがたく文章の軽さを助長してしまっている。

エッセイとして読めば悪くはないと思うが、臨床心理士という肩書き、医学書院という出版社から期待するような種類の本ではなかった。でも読みやすいので全部読んでしまったが。面白くないというよりは、物足りない。面白くなりそうな話がそこまで面白くならずに終わる。その割にどうでもいいこと(病院のラウンジで会った素敵な男性の話とか娘が無印でパジャマを買うとか)が書かれているので微妙な気持ちになる。残念。まあこの本のターゲットではなかったのでしょう。


いっぽうでウエルベックは例によって満足がいく。食傷気味と書いたが毛色の変わった二冊だったので楽しめた。『ランサローテ島』は写真と中編小説が一冊になっているつくりで楽しい。後に書かれる『ある島の可能性』と通ずるテーマ。『地図と領土』はウエルベック節(性的描写や差別的な記述)がかなり控えめで、ウエルベックが嫌い・苦手な人にも読みやすいのではないかと思う。ほかの作品と比較して静かで叙情的。

2022年3月13日 日曜日 とても暖かい

起きては寝てを繰り返して、最終的にきちんと目覚めたのは三時過ぎ。起きたら恋人から「外暖かいよ」というLINEが来ていて、穂村弘のような気分になる。何もない日にはとことん寝てしまう。ここで寝すぎず起きていることもできるのかもしれないけど、そうしたら睡眠が足りていないまままた一週間がやってくると思うと怖すぎる、ということを前にも書いた。それからTwitterとかニュースアプリでくだらない文章を読んでいたら日が暮れていた。

そんな日曜日は厭だなと思って七時過ぎに図書館に行く。中央図書館は夜十時までやっていて助かる。自転車で行くがやはり暖かい。もうマフラーも手袋も必要なくてありがたい。この図書館と離れなければならないのが残念ではある。新宿区は図書館があまり充実していない。

そのうち見返したら面白そうなので借りた本を記しておく。たぶん期限を延長しても半分も読めないと思うが。

  • 古井由吉『杳子・妻隠』(新潮文庫
    • このまえ東京堂に行ったら特集をしていて、そういえば一冊も読んだことないなと思ったため。一緒に行った友人におすすめを聞いたが忘れてしまった。『槿』を借りようと思ったのだが、あるはずの棚になく、代わりにこれを借りる。
  • ブローディガン『西瓜糖の日々』(河出文庫
    • よくTwitterに好きな人がいるなという印象の作家。ブローディガンbotフォローしてるけど読んだことないので読むかと思った。読めるかはわからない。
  • クリスティ『春にして君を離れ』(ハヤカワ文庫)
    • ずっと以前に読んだことあるがそのときも借りたので持っていない。春なので読むかと思った。
  • 江藤淳『成熟と喪失』(講談社文芸文庫
    • ずっとAmazonの「ほしい物リスト」に入れていた本。興味を持ったきっかけは忘れた。読み終わる気はしない。
  • ウエルベック『地図と領土』(筑摩書房
  • 同『セロトニン』(河出書房新社
  • 同『ランサローテ島』(河出書房新社
    • これらを読み終わったら、ウエルベックの邦訳されている小説は全部読んだと言えるのでそのために借りてきた。全部ハードカバーでだるい。ちょっと最近読み過ぎて食傷気味ではあるので読めるかわからない。
  • 阿部和重阿部和重対談集』(講談社
    • 図書館の特集コーナーで「対談」をテーマにしていて、そこに置かれていた。『中原昌也 作業日誌』に阿部和重がよく出てくるのでこれをチョイス。
  • 伊藤亜紗『どもる体』(医学書院)
  • 信田さよ子『カウンセラーは何を見ているか』(医学書院)
    • 『ケアをひらく』シリーズから二冊。本当は「べてるの家」関連のものを読もうと思っていたのだが、ひと月以上貸出中になっていて誰か借りっぱなしに違いない。代わりにOPACで検索して面白そうなのを選んだ。後者は表紙がちょっとおもしろい。

こうして並べると、読書の方向性がインターネットに影響されすぎている、と感じる。本を読む方の人間ではあると思うけれど、読むのに力の要る本をあまり読んでいない。学生もいよいよ終わるというタイミングになって急に江藤淳とか九鬼周造とか読みたくなって手を出している。絶対学生のうちに『必読書150』を頭から読んでいくべきだったが、実際にはそういうことはできなかった。就職が決まり、このままではいよいよ灰色の賃労働者になりかねないという危機感を以て初めてそういうものに手をつけることができた。


図書館を出たあと公園で煙草を吸いながら方々に連絡する。他人の日記を読むのが好きすぎるという理由で企画した同人誌に参加してくれる人がひとまず出そろって、次に進めそうである。わりととんとん拍子に決まってしまって逆に焦った。しっかりせねばならない。ただ自分が中心になっているとはいえ一人で進めているわけではないのでその点は安心。本当はこの人にもお願いしたかった、という人が何人も思い浮かぶけど、それは次があったらということにする。

2022年3月11—12日

3月11日 金曜日

バイトのあと、新宿へ行く。不動産屋で契約。宅建士の身分証を見せられて重要事項説明を受けた。身分証に「岩手」と書いてあった。岩手で資格を取ったのだろう。そういえば東北っぽい訛り。内見のとき担当してくれた人も東北っぽい訛りだったので、もしかするとこの不動産会社は同郷の人を雇ったりしているのかもしれないと思った。

重要事項説明で耐震の話や津波の話などをされる度に「ちょうどきょうは3月11日ですが……」と前置きされる。もし東北出身ならなおさら何か思うところがあるのかもしれない。

署名と捺印を繰り返したあと、「今日内見していきますか?」と別の社員に言われる。もうすでに一回見たけど、不動産屋から徒歩十分くらいだし見ていくかと思いお願いする。メジャーを借りる。搬入経路や窓の寸法を測る。そのまま伊勢丹まで歩く。家から十五分で伊勢丹に着くのか、とうれしくなる。

伊勢丹でホワイトデーのお返しを見繕う。地下は大混雑。男たちがスイーツ売場に群がって、サダハル・アオキのマカロンなど見ている姿は、普段ないもので面白い。フロアを見ていたらジャン=ポール・エヴァンがあった。この前友人宅に箱があって、美味しいと言っていたのを思い出し、俺も真似してそれを買うことにする。

並んでいる最中に案内を見せられ、値段と見栄えと量のバランスから八個入りを買おうかと思ったのだが、ショーケースになかった。六個入りと十個入りは何個も置いてあったが。八個入りはチョコが四粒×二列なのだが、六個入りは一列で箱のスペースが有り余っていてやや淋しい。見栄を張って十個入りを買う。一粒で二年前のハイライトくらいの値段。どうかしてる。

伊勢丹を出て壱角家の前を通り過ぎたら壱角家の日でラーメン550円とか書いてある。別にあまりおいしくないと知っているんだけど家系が食べたくなりなんとなく入ってしまう。ライスも頼むと650円。地元ならこの値段でちゃんとした家系食えるなと思いながら無心で食べる。それでなんか消耗してしまってアルルへ行ってしまう。コーラ飲んでから帰宅。

帰ってから友人らと電話する。一人はコロナに罹っていてあきらかに病人の咳を繰り返していた。「喋ってる場合じゃないのでは」と思ったし、何度か言った。二時半くらいにそろそろ寝るかと思って電話を切るが特に眠れない。電気やガスや水道の申し込みをする。

3月12日 土曜日

たぶん朝の四時くらいに眠った。午前中に一度起きたが二度寝してしまう。昼過ぎに起きた。天気が良い。部屋は暑いくらいだった。

今日もまた新宿へ行く。暖かいので浮かれた気分になる。チョコレートを渡す。新宿御苑のほうまで散歩して、そのあと戻ってきてまたアルルへ。休みなので混んでいた。連れ合いが猫に好かれなくて悔しいと言っていた。

IKEAニトリなど物色して帰る。新生活でいろいろ入り用で困る。少しずつ揃えるつもりだけれども、引っ越しだけでなくたぶん就職にあたっても髪切ったり服買ったりしないといけないだろう。そんな金はない(食事したり喫茶店に行ったりスーパー銭湯に行ったりしているので)。四月が誕生日なのでちょっと早めてもらっていろいろ贈ってもらうことになった。ありがたい話。

解散して帰り道、『中原昌也 作業日誌』(そちらも金がないない言っている)を読んでいたら、初任給が入るまでの生活費を稼がないといけないことに今更気づく。いやアルバイトの給料は入るわけだけど、いろいろに消えていきそうで心許ない。暖かくなってきたし久しぶりにUber Eatsの配達でもするか……。あれは資本主義と情報産業が生んだ悪魔みたいなシステムなんだけど、気楽で手っ取り早くて助かるという側面も間違いなくある。まあなんとかなるだろう。実家に帰れば飢えることはない。

あとは、せっかく近いので用がなくても会社に向かってそこらへんにいる社員に取り入って昼飯や夜飯をおごってもらおうという皮算用を立てている。全然出社している人少なそうだけど。そういえば就職先から自己紹介のスライドに記入するよう頼まれていたのをいまちょうど思い出したのでここにメモしておく。

家帰ってぼんやりして『作業日誌』を読んでいたら11時でおかしいだろと思う。日記を読んでいた影響もあって、自分もここ二日のことを書くことにする。

2022年3月10日 木曜日 月

さっきろくに建物のない場所を散歩していて、地平線に沈みかけた半月が赤く見え、それで子供のころ月が怖かったな、ということを思い出した。正直なところいまでも月が怖く感じられるときがある。

満月は美しいと思う。苦手なのは赤い月と極端に細い月だ。赤い月の方はあまり目にすることがないが、細い月は満ち欠けの結果なので頻繁にやってくる。それを目にするかは別として。

月を怖いと思ったきっかけも覚えていて、小学校の最初の方だったか、家族で旅行した帰り道、車のフロントガラスに大きく赤い満月が映った。赤い月を見たのが初めてだったし、また地平線に近かったためか信じられないほど大きく見えた。大変怖かった。まるで望遠レンズで撮影したように。今思えば皆既月食だったのだろう。それ以降月が苦手になった。

当時は月が出ていたら下を向いて歩くくらいに怖がっていた気がする。家族はだから僕が月を怖がっているということを知っていて、でも「子供があれを見たら怖いと思うのも無理はない」と言っていたので、よほどすごい月だったのだろう。

今ではだいぶましになっているが、それでも当時もより苦手だった細い月が出ているとうっと思う。そちらに目を向けないように歩く。帰路の正面に出ていたりすると結構厭だ。逆に見つめてみて、こんな細い月は異常だ、やっぱり怖い、と思ったりする。地球照がその鋭利さを際立たせていて最悪だ。赤い月ならなおさらだ。

知っている人もいるだろうが、僕の本名には月という字が入っているので、その字までは怖くならなくてよかったなと思う。入っていなくても月曜日とか四月とかいくらでも目にする機会があるので結構しんどかっただろう。いや天体の月も目にする機会は多いのだけど。満月と新月の日は気が休まる。できればもう満ち欠けないでほしい。

2022年3月9日 水曜日

アルバイトだったのだが全然仕事に集中できず、ひたすらWikipediaを読んでしまった。リモートワークは意志の弱い人間には敵となるときがある。さすがにオフィスで長々とWikipediaは読まないので……。既にできることを仕事でやるのは良いんだけど、勉強しながら同時に何かをせねばならないという状況が苦手で、新しい知識の入手に取りかかるまですごく時間をかけてしまう。

その新しい知識は仕事とは関係ないというつもりで(業務時間外に)入手しないと「これをさっさと覚えてあれをせねばならない」というプレッシャーで頭に入ってこない。とりあえずぱぱっと与えられたタスクの一部をこなし、すみません全然進捗ないですが次回の出勤で終わると思います、と宣言しておいた。次の出勤までにそれを多少勉強する必要がある。


不動産屋に電話して契約の日取りを決めた。入社前に入居して準備することにしたのであと二週間で引き渡しとなる予定。ただ金がないのですぐにそこにすべてを揃えるというわけにはいかないだろう。とりあえず布団と安い机かな……。モニターと椅子はいま使っているものが良いので家から運ぶ必要がある。あと本をいくらか宅急便で送る。もしこれを読んでいる人で何らかの家具や家電が不要という人がいたら教えてください。


就職するし、引っ越しもするし、いよいよここ五年くらいのモラトリアムに終止符を打とうとしているが、これってなんだったんだろうと思う。単位も全然取れていない。大学で何を得たというのか。代わりにこれをしてました、というものもない。いや就活では、勉強する代わりになんとかをやってました、と云ったわけだが、それが何かにつながっているのかというとそうでもない。これからつながるかもしれないが。ただ自分に能力のないことを認識するために必要な期間だったな、という感じがする。

いろいろなことに手を出してみて、すぐにやめる、という繰り返しだった。ただそれが無駄だったとは思っていない。負け惜しみではなく、それは実際に必要だったと思う。馬鹿みたいな話だが、自分が何者でもないことを理解するために。少なくとも今はそうなれない、ということを認識するに十分だった。ようやく俺は、生活を賄いながらそのときできることをやっていくしかない、一発逆転は(俺には)ない、ということがわかるようになった。

そして今ではそれを望んでもいる。五年にわたり将来の不安を抱えつつ、すべてが自分に任されているという状況は案外辛かった。何をしてもよいときには何もできなかった。もう俺はこんな宙に浮いた状況には飽きた。今はただ、会社に行き、仕事をほどほどにこなし、本を買って読み、気まぐれに文章を書き、静かに暮らしたい。その先のことはその後に考えたい。そしてそれができるかもしれないので嬉しい。長く続くかはわからないが。

大前研一が、「人間が変わるには三つの方法しかない、時間配分を変えるか、住む場所を変えるか、付き合う人を変えるか」ということを云っていた。大前研一の言葉を引くのに恥ずかしさはあるけど、これは至言だと思う。この状況を終わらせるために就職して、(そのつもりはなかったのだが)住む場所も変わるのはたぶん良いことだと思っている。


しかし五年か。五年って結構長いよな。人生の五分の一を彷徨に費やしていたと思うと本当に贅沢な話だな。

いつのことだったか忘れたが、母に「あのときはもっとやる気があって輝いていた」と云われたことがあった。大学生活の前半で、高校のときと比較されて云われたのか。あるいはそれ以前かそれ以降か、状況は何も覚えていないのだが、とにかくそれを云われた、ということが印象に残っている。それは本当に正しかったから。結局そういっただらだらをずっと続けてしまった。

でも仮にいま五年前に戻ったとしても、まったく同じ道をたどっただろう。それで面白いこともたくさんあったしな。もう少し以前に戻っていたらたぶん行く学部を変えていたとは思うが、それでも同じような顛末になっていた気がする。より悪い状況になっていた可能性も大いにある。


退屈をかくも素直に愛しゐし日々は還らず さよなら京都(栗木京子)

今日は本当は、この歌のような気分で文章を書く予定だったのだが、全然そのような気持ちになれない。大学、早稲田だし。会社、四谷だし。転居先、若松河田だし。全然「さよなら」ではなく、むしろ近づいている。

また大学生に特有のあの感じも、正直なところいま付き合っている友人の多くが長い長い学生生活を過ごそうとしているので、いま損なわれるという気がしない。俺が少しだけそこから離れるというだけで。今後も全然くだらない居酒屋で馬鹿話とかしちゃうと思う。カラオケでオールとか気力が保てなくなってきたけどそれ、大学三年くらいからだし。あと数年経てばああ終わりなのだなと思うかもしれないが……。「いっちょエモい文章でも仕上げるか」と思って書き始めたのに全然その側面において感傷的になれない。だめだ。

もちろん周囲にもいくらでも大学を去り働いている人もいて、そうした感傷が絶無というわけではないのだが……。これで会社が大阪とかならばまた違ったのだろうけど、ちょっと高田馬場・早稲田界隈から遠ざかれそうになく、全然「思い出のあの街」とかではなくて今後も行くだろうなという気しかしない。何なら行く頻度が増えるかもしれない。早稲田のシャノアールが閉店したときのほうがよほど感傷的になれた。

逆にいま住んでいる東京西郊に対して感傷的になるかというと、それもならず、電車で一時間もかからんしな……と思ってしまう。この辺の街だと国分寺が好きなんだけど、新宿から国分寺って三十分もないし。普通に実家に物取りに行ったりするだろうし。郷愁を味わいたかった……。ちょうどよいので、このあと東京の東西についてでも別の投稿で書こうと思います。