2022年1月9日 日曜日

少し暖かい日で、天気予報では三月の陽気なんて言っていたけど、三月でもまだこの程度には寒いのかと少し嫌になってしまう。春が遠い。

バスで前の座席に着物の親子がいて、お母さんが自分のつけていたかんざしを二、三歳の娘につけかえたときに、かんざしがきれいに刺さる方向を探る手つき、そして髪を撫でて整える手つきが、窓から射し込む陽の光に照らされてとても美しく、そして娘がかんざしをつけられるとすぐに頭を手で探って取ってしまうので、お母さんはまた自分につけたり娘につけたりと繰り返していて、それをずっと凝視することになってしまった。娘さんはときどき後ろを振り返ってこちらを見ていたが舌を唇に挟むのが癖のようで可愛かった。

久しぶりにザバダックを聞いている。特にファンではないのだが、年に何度か急にその存在を思い出したように曲を流す、という付き合い方をかれこれ六、七年ほど続けている。いまとなってはどのような経緯で知ったのかも覚えていない。なんだかんだで『遠い音楽』が結局一番いい気がしてしまうが、『同じ海の色』を最初に知ったことだけは覚えていて、いまでも聞くときはその曲を最初に検索してしまう。

音楽にまったく詳しくなく、ザバダックのような系統の音楽をなんと言うのか知らないが、他にはこういったものはまったく聞かないので、自分の音楽遍歴のなかでは日本地図での沖縄の扱いのようにひとつだけ独立して別の位置にある。

文章は固有名詞が多いほど下品になる、という言葉があった気がするが調べてもそれらしいものが出てこない。もしかしたら俺が考えたのかもしれないがその通りだと思う。できるだけ固有名詞を使わずに文章を書きたいが、そのような筆力はなく固有名詞の持つイメージを喚起する力に常に頼っている。百年後にも通用するだろう言葉のみで文章を構成できたら理想的だと思う。