2022年1月10日 月曜日 テレビCMとインターネット

月曜日だが祝日で成人の日。前にもどこかで書いたが、成人の日が来るたびに、振袖の若者たちを見ながらお年寄りの集団が「老人の日もあれば良いのに」「それは葬式だ」と会話していたのを思い出す。敬老の日だと思う。

一日家にいて、荻窪を歩いたという投稿を書いた以外は特に何もせず。七時過ぎに眠くなって寝たんだけどそれまで何をしていたか思い出せない。本当は喫茶店にでも行こうとしていたんだけどなんとなく体が重くて行けなかった。さっき、朝の四時くらいに起きて、喫茶店が開いたら行こうとしたけど雨らしく行っておけば良かったと思っている。


世紀末の携帯電話会社のCMがなんとなく好きだ。一番好きなのは永瀬正敏が出ているJ-PhoneのCM。

CMのナレーションは「届かない言葉、零れない涙、笑わないテレビ、本当の君。意味のないそれらを、僕は死ぬほど、愛している」と言う。最後に「J-Phone」と言って終わり。これがコマーシャル・メッセージとして成立していた時代の豊かさよ。


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そのCMは1998年のTCC(東京コピーライターズクラブ)賞を獲っている。俺が生まれた頃はこれで、大人になったら携帯キャリアのCMはおしゃれでもなければ面白くもない、謎のドラマ仕立てのものか、あるいは直截なメッセージ(「日本のスマホ代は高すぎる!」)を強調するものになっていた。どういうことなんだろう?

J-PhoneのCMが宣伝として優れているのか、俺にはわからない。あのCMを見て携帯電話を契約しようと思うのか。効果測定とかどうやってするんだろう? 広告代理店やクリエイターの自己満足と思わないでもない。でもそういった広告に金を払えたというのが豊かだったんだな、と思う。

テレビ自体の地位が下がっているから、CMにお金がかけられないようになっているのかもしれない。最近、たまにテレビをつけると零細制作会社に10万円で完パケを発注しましたみたいなクオリティのものが混ざるようになっていて驚く。キー局の、夕方のニュースでこれが流れているの?

では広告市場で大きな地位を占めるようになったインターネットはと言えば、もっと低レベルの広告がいくらでも跋扈していて、本当に最悪の気分になる。最高峰の頭脳が、不快な写真のバナー広告や脱毛の動画広告を配信するプラットフォームを開発するために消費され、そこに金がつぎ込まれている。21世紀がこんな時代になると誰が想像しただろう。