2022年1月21日 金曜日

父方の祖父母と母方の祖母のワクチン3回目の予約をした。だんだん洗練されてきているとは感じるが、自治体から送られてくる接種券や同封の案内は複雑に過ぎ、それを作成している側は自分たちがそれを計画しているのだから当然理解できるのだろうけど、そうでない人はそうでない、ということを忘れているのではないかと思った。70歳80歳のお年寄りがこれを見て本当に迷いなく予約できると思っているのだろうか?

役所にはある程度方向性の定まった認知能力を持つ現役世代しかいないが、彼らのサービスの対象はそうでなく幅広い。俺がやらなければ、祖父母は予約するまでかなり手間取ったのではないだろうか。両親は書類を読んで何らかの手続きをするということが本当にできない人たちだから。それは認知能力の高低の問題というより向き不向きの問題である。方向性というのはそういう意味だ。

最終的には祖父母は役所に電話するとか、知り合いに頼むとか、何度も資料を熟読するといった手法で、俺がいなくとも接種にありつけただろう。それは高齢者の二回目までの高い接種率からもうかがえるように思う。しかしそれは疲弊させられる作業なはずだ。役所の人間がもう少し手間をかけて気を遣ってシステムを整備すれば、莫大なお年寄り(あるいは書類とは無縁の認知能力を持つ人)の手間が削減される。

もちろん公務員はみな既に頑張っていて、彼らは彼らで疲弊しているのだろうとは思う。なぜこうなるのか? 公務員の人数が少なすぎるのではないか。公務員をもう少し増やしたら、ひとりあたりの余裕も生まれ雇用も生まれ良いことずくめではないか。

あるいは彼らが仕事に追われているのはこのような複雑なシステムによって自分たちの首を絞めているからではないか。それを実行する側だってもちろん明快なシステムの方がやりやすいに決まっている。ワクチンだけでなくすべてを複雑にしているがために彼らは余裕がないのではないだろうか。

ワクチンの資料を見ながらこういうことを考えたが、俺が役所にいたとしてうまくやれる自信はないので責めているわけではない。そしていま、こういう問題に特段の関心がない。以前はこういうことを真剣に問題だと捉えて、もうすこしいろいろなことを考えて何かをしていた気がするが、いまは日記に雑に記しておくくらいしかできない。それがなぜなのか、ということのほうが関心がある。