2022年2月1日 火曜日 為政者と都立高校

昨日の夜九時くらいからずっと起きている。アルバイトは早めの出勤にしてもらい、早めに切り上げた。生活リズムを戻すためにはこのあとできるだけ起き続けていたい。昨夜から呆れるほどキーボードをタイプしているのでもう腕が痛い。


今日から二月。偉大な作家が偉大な政治家になれるわけではないことを示した男が亡くなったという。彼に対しては愛憎半ばするような気持ちがある。作家として残した作品と政治家としての言動という対立軸においても、あるいは彼が都知事として行った政策においても同様だ。

東京には都立高校が百八十あり、そのうち七つが「進学指導重点校」として指定されている。僕はその一つを出た。そこでは大学合格者数の数値目標を立てることが行われている。東京一工に何人、旧帝大に何人といったように。

制度は2001年に開始されたが、母校は2003年になって指定された。指定が遅れた背景には、教員や在校生の反対があったという噂を耳にしたことがある。自由で左寄りの学校だったので、そのような定量的な管理は公立高校になじまないという考えだったのかもしれない。その感覚はわからないでもない。

しかし進学指導重点校の導入や学区制の撤廃といった都立高校改革がなければ、そもそも都立高校、ひいては母校を目指したかすら怪しい。適当に大学附属の私立高校でも進学していたような気がする。自分の家はもともとの学区に含まれていたが、そうでないクラスメートなどいくらでもいる。そういった改革がなされたおかげであの恵まれた高校生活があったのかもしれないと思うと、なんとも言い表せない気持ちになる。三年間大変世話になった恩師も校長がスカウトしてきた人で、それも改革によって可能になったことだと思う。

一方で、都立高校では「奉仕」の授業が必修なのだが、それではもはや奉仕ではないだろうと在校中から思っていた。それも都知事の強い意向で導入されたものだ。そういったやり方にも不信感はあった。

また一連の改革によって、「中の上」レベルの学校では制服が導入されたり染髪が禁止されたりといった規制がよく行われたと聞く。母校は幸いかなり緩かったが、進学指導重点校やそれに次ぐレベルの学校でも校則が厳しくなることはあったと思う。それは必ずしも改革によるものだけでなく、時代の変化なのかもしれないが、目標達成のために風紀を「ただす」方向に指導を行う学校が現れてもおかしくはない。

都立高校改革について都が作成したパンフレット1では、当時の教育委員の鳥海巖氏が以下のようなコメントを載せている。彼は都知事の大学同期でもあった。

電車の中で化粧に余念がない娘さん。親の顔が見たいと思っていたら、アイ・シャドウと睫毛のカールに夢中な 40 歳位のおばさん。70 歳代のおばあさんがまさかの口紅塗り。携帯電話使用禁止の車内放送も何のその、堂々と使い続ける人。弱者の為の優先席に座り続ける若者。...日常茶飯事の車中風景です。日本人の恥の文化や誇りは一体何処にいってしまったのでしょう。校門に一歩足を踏み入れるとどんな学校か判ります。この車中風景は外国人の目にはどう映っているのでしょう。(中略)

意識改革の根幹をなすものは、徹底した『自己責任』、『自主・自律』であり、『行き過ぎた自由と平等』を是正し、『権利』の根っこにある『義務』を再認識する事です。

校則が厳しくなるのもさもありなん、という感じではある。例として挙げられているのが女性ばかりなのは吐き気がする。


冷静で合理的な政策と精神論じみた不合理な政策を同時に進める人だったな、と思う。それは彼の二面性を象徴しているのかもしれず、都立高校改革はそのひとつのあらわれでしかない。都立高校という点においては、前者によって自分も恩恵を受け、後者によって自分も(知らぬうちに)不利益を被っていたのかもしれない。都立高校においてもそうでない領域でも、後者により大きな被害を受けた人もいただろう。愛憎半ばする気持ちの所以はこういったところにある。しかし、なかなか死ぬような人間には見えなかったな。みんないずれ死ぬわけだけれど。安らかに。