2022年2月2日 水曜日 メールアドレス

アルバイトを二つ掛け持ちしているのだが、片方にどうしても反りの合わない感じの人がいる。特に迷惑をかけられているとか、普段の業務に支障が出るとか、そういうことはないが、まれに彼と二人でビデオ会議などをする機会があり、そのときにうまく話すことができない。相手との間合いがつかめない。

今日もそこのアルバイトだったのだが、彼のプライベートのメールアドレスがちょっとした理由でSlackに共有されていた。彼の名前が太郎だとすると、そのメールアドレスは「taroukundesu@gmail.com」といった感じの代物で、このアドレスを設定する人と反りが合わないのは無理もないなと不思議な納得感があった。僕なら絶対にこのアドレスにはしない。

メールアドレスといえば、我々の世代は小中学生のときに携帯を契約していて、その際にキャリアのそれを設定している場合が多い。懐かしき@docomo.ne.jpとか@ezweb.ne.jpの世界だ。ソフトバンクはなんだったっけ? 忘れたが、とにかくそのキャリアメールのアドレスも今見るとかなり味わい深いような気がする。

たまに昔の携帯電話を引っ張り出してくると、当時のアドレス帳に当時の同級生のメールアドレスが記録されていたりして、見ているこちらも恥ずかしい気分にさせられる。バスケ部だったら"basketball"とか入っていがちでそういうのは微笑ましいが、よくわからん歌詞の一節のような英単語の羅列とかはなんとも言えない気持ちになる。eternalとかloveとかそういった語が散見される。

当時好きだった女の子のメールアドレスは「名前ローマ字+数字4桁@docomo.ne.jp」みたいな感じで、そのシンプルさには当時から好感を覚えていた記憶がある。これはあばたもえくぼというものかもしれない。その数字4桁は誕生日ではなさそうで何の数字だったのか今でも気になっている。

その後年月が経ち入学した大学ではメールアドレスの@以前を学生が自由に決められる仕組みだった。僕は「名.姓」のローマ字にしていて、周囲もそのようなシンプルなアドレスが多いが、たまに名前に使われている漢字の英訳とか、それならまだしも、好きなアーティストとかを入れている人もいて、合理性とか明解性といったものを捨てて、自分の好きなアーティストをアドレスにするぜ! なぜなら好きだから、という単純さはこの年になると触れる機会も少ないので嬉しくなる。

一方で"taroukundesu"はそういう単純さから生まれた文字列ではなく、計算された幼児性みたいなものを垣間見てしまい、もしかしたら彼と仲良くなればそういった性質もかわいいものと捉えられるのかもしれないが、そうではない状態で直面すると少し引いてしまう。もしこれが"taroudesu"だったら、多少のユーモアを含みかつ覚えやすさを重視した決定と肯定的に受け入れられた可能性もなくはないが……。

たかがメールアドレスに何をそんなに熱くなっているのか、と自分で思わないでもないが、どうしてもそういうところにどういう人間か出てきてしまう気がしている。こういうことを考え続けていると自分のメールアドレスは名前のローマ字といった、どの角度からも攻撃しようのない無難なものにするしかなくなり、こういった考え方が世の中をつまらないものにしているのかもしれない。