2022年2月14日 月曜日 「バレンタイン」

11時くらいになんとか目覚めてアルバイトをする。眠くて全然集中できない。持ち直してきたところで祖母から電話。いま(我々の家の近くの)びっくりドンキーにいるが、ご飯を食べないか、おごるよという誘い。抱えていた業務を終わらせてから休憩を取って向かう。

祖母は72になるがマンションの清掃員として働いている。その職場に新しく入ってきたという四十がらみの男性がいるという。曰く、四十過ぎて親と同居して云々、趣味も無いとかで、家に帰ってのんびりすることが云々。父親が堅物で母親は息子にいて欲しいらしいけどそれって依存じゃない、人生楽しいのかしらとかなんとか。その批判は判るけどまあ別に良いのでは、本人がどう考えているか判らないのだし、と言っておいた。この世代の人は考え方そのものはわりと個人主義的だけれども、その考え方を以て他人の生き方に介入しようとするところが個人主義的ではないなと思う。少ないサンプルから述べている話だが。

「結局ね、彼女がいないのが原因だと思うのよ」と云う。女の子がいれば独り立ちしてやろうと思うじゃない? 「でもモテるって感じじゃないのよね。いい人ではあるんだけどモテるって感じじゃない」と云っていて、その「いい人≠モテる」の理論って半世紀くらい年の離れた人にも通用しているんだと思ってちょっと新鮮だった。

祖母と話すといつも不思議な気分になる。祖母は戦後生まれで東京に育ち、わりと左寄りで、僕の感覚と共有している部分も多くある。だからこそ異なる部分が目立つ。もしこれで祖母が戦前生まれで田舎者で右寄りだったら、もう全然違う考え方でも納得はいくのだが、ベースは同じ——たとえば祖母は、長男なんだから親の面倒を見なければならない、などとはまったく思っていない——なのに、同時に「男なんだからさっさと独立しなきゃだめなのよ」というようなことを云う。僕は、人は親元から独立した方がいいこともあるのかもしれないが、それは性別に関係ないし、また本人が独立しないで問題ないなら別にそれで良いと思う。そうした差異の感覚は80年代生まれの母になるとかなり弱まる。


そのようなことを考えながらご飯を食べ、アルバイトに戻った。一度家を出たのできちんとした格好をしている。オフィス、というか外ならば、ジーンズだろうがジャケットだろうがいくらでも着ていられるし、それで集中が削がれることはないのに、家できちんとした格好をしているのはとてもストレスなのはなぜだろう。さっさとスウェットにでも着替えたい。と思いつつ、本当にきちんとした格好のままではいられないのか確かめようと、そのままアルバイトをした。いまアルバイトを終えてからこれを書いているがまだ着替えていない。まあ慣れれば平気ですね。


きょうはバレンタインだが、バレンタインに限らないが、そういったイベントごとになるとLINEで「バレンタイン」などと送るとトーク画面の背景にポップなエフェクトがかかってうざったい。この話は何度もしているが何度でもする。クリスマス、とかもそうなのだが、たとえば喧嘩しているカップルが「バレンタインはもう会えないの?」などと訊いたときにあのエフェクトが出てきたらどういう気持ちになると思っているのだろう。

それならまだましで、もしかしたらそのエフェクトを機に緊張が解けて仲直りなんて甘い展開もあるのかもしれないが、「よりによってクリスマスに死んでしまうとはね」というような文言だって送られうる。そのときにあのクマとかウサギみたいなキャラクターが祝福するように飛び出す。悪夢だし、そういったことを考えないで、「こういうのかわいいでしょ? すてきでしょ?」という「好意」だけであの機能を実装しているのだろうと思うと本当に腹立たしい。どのような文脈で何が送られるか判らない、ということを考慮せずにメッセージングサービスを運営する資格はない。

同様のメッセージングサービスであるWhatsAppのコウム元CEOは、

先頃スペインであった高速列車事故の際、閉じ込められたある乗客がWhatsAppを使って配偶者に連絡を取っていたというエピソードを挙げながら、「もしそんな差し迫った場面で、ユーザーが広告を見なくてはならないとしたらどうだろうか?」1

と、「広告掲載を通じてマネタイズを狙う競合他社のサービスを批判」した。これは8年前の記事だし、アプリが無料化されFacebookに買収されたいま、WhatsAppがどのように収益化しているのか知らないが、こうした想像力は絶対に必要だと思う。LINEはトーク一覧にも広告を掲載していて、商売だから仕方ないとは思いつつ、本当にどうしようもない。せめてもう少し邪魔にならない位置にしてくれませんかね?

広告掲載はまだ企業として存続するための必要悪かもしれないが、メッセージに特定の単語が含まれるとそれを検知してなんらかのエフェクトを表示する機能は、金儲けにもならないし、もしそれを後々金儲けにつなげるのなら——たとえば「ラーメン」と入力すると日清カップヌードルのエフェクトが出るとか——ユーザーのメッセージそのものを収益につなげようとしていて、プライバシーの面から最悪2だし、だから金儲けであってもなくても、どの角度から見ても擁護できない。その機能が実装されているのを発見するたびに最悪な気分になっている。

LINEで1日に何通のメッセージが配信されているのか知らないが、その規模は億を超えるだろうし、そのすべてが喜ばしいものではないということは自明ではなかろうか。恋人同士の甘い会話にバレンタインのエフェクトが表示されなくても誰も気にしないが、つらいメッセージにクリスマスのエフェクトが表示されたら厭な気持ちになるかもしれない。全体幸福だけを考えたとしても、その機能は必要ない。


この日記を投稿したあと、自転車でスーパー銭湯に行った。寒すぎる。高校のとき毎日自転車で通っていたのが信じられない。

近所のスーパー銭湯は入館するとリストバンドが渡され、館内のレストラン、自販機などはそれをかざすことで、出るときにまとめて精算できるという仕組みになっている。いつも気になるのはこれの与信はいくらくらいまでなのだろうか、ということ。1万円くらいかな。

サウナを出たあとベンチに座っていたら若い女性の店員が清掃をしに来た。女性の店員を男湯で見るたびにいつも、この人は数え切れないくらいの男根を目にしてきたのだろうなあと下賎なことを考えてしまう。もちろん葬儀屋にとっての遺体や外科医にとっての内臓と同じで、もはや気にしてもいないだろうが、銭湯に勤めて初めて男湯に入ったときは圧倒されたのではないだろうか。もし自分がその立場なら圧倒されるし、というか気持ち悪くなりそうだ。いくら男性と夜を共にすることの多い女性であっても、生涯で目にするそれの数はせいぜい数百本程度だろう3。しかし百本単位なら、銭湯の従業員であれば一日で目にすることも可能だろう。そう考えるとくらくらする。筒井康隆みたいだ。

ついでに、以前高円寺の銭湯に行き、湯船から上がって脱衣所に出たら女性の大学の同期がそこにいたことを思い出した。ドアを開けて脱衣所に出た瞬間目が合った。彼女がその銭湯で働いているというのはたしかに知っていたのだが、タオルで躰を隠しつつ「ああ」と声がこぼれただけだった。向こうも「あっ」と云って、互いに会釈して終わった。大変気まずかった。

炭酸泉に浸かっていると、やんちゃそうな五人組の男子がやってきて、このようなご時世ながらひたすら大声で喋り始めた。リーダー格と思しき男の声は一段と大きく、ゴールドやシルバーの喜平のネックレスをじゃらじゃらさせながら、なにか話していた。厭だなあ、うるせえなあクソガキくらいに思っていたのだが、突然目の前に座っていた男が隣にいた、やや肥えた男のおっぱいをぷるぷると揺らし始めたので、思わず笑ってしまい即座に横を向いた。そのあと、「年少」「鑑別」といった言葉が聞こえて、単にやんちゃなのではなく結構やんちゃな部類であることが判明し、さきほど「何笑ってんだよ」などと絡まれる始末にならなくてよかったなと思った。まあ幸い今まで絡まれたことはないのだが。

途中、中学生だと思っていたら、原付の話をし始めたので高校生であることが判明したり(無免許でなければの話だが)、女の子とのデートはおごるべきかという話題で「最初は絶対おごらなきゃだめだけどさ」と云っていて、やはりやんちゃな人たちにはそういう規範が残っているのだなあと興味を惹かれたり、こういう系統の男たちの会話を聞くのは中学以来だなと感慨深く思っていたりして、しばらく浸かっていたらいつのまに、五人が俺を取り囲むような体制になっていて、あれ、これ出られなくない? このあとボコボコにされる? と不安に思ったのだが、立ち上がったら一人が会釈して謝意を示しながらどいてくれたので「なんだ良い子たちじゃないか……」と感じた。でも実際にはたぶんそうでもないと思う。


  1. https://wirelesswire.jp/2013/08/43309/

  2. いまの「クリスマス」とか「バレンタイン」のような特定の単語を検知する機能もかなりプライバシーの面から最悪だと思う。LINEは「Letter Sealing」というE2EEを採用しているので、サーバーサイドではなく送信者/受信者の端末上で検知してエフェクトをかける処理をしているのだとは思うが。自分のマシンパワーをそのような無駄な処理に割かないでほしい。LINEにはもっと先にやることがある(複数端末での同時ログインとか)。

  3. 男根の助数詞は「本」なのかどうか気になる。