2022年2月15日 火曜日

眠りすぎてしまい、14時手前に起きた。14時半からアルバイト。今日は天気が良さそうだった。暖かいだろう日だった。そういう日に自宅で、コンピュータに、ひとりで、向き合うというのはそれなりの苦痛がある。苦痛のあまり普段4時間のところ3時間で上がらせてもらった。早く上がったところで意味などない。なぜならもう日は暮れているから。

アルバイトを終えてから誘われたので高校の友人・Sと新宿へ。ビリヤードをするという話だったがとりあえずDUGへ。金がないと言ったらおごってくれた。おごってくれたというかそのうち返すのが前提なのかもしれないけど、とりあえず支払ってくれた。毎週のように、というか週に何度も顔を合わせていることもあるので、たかだか十日ぶりくらいだがそれなりに久しぶりの感じがする。なにか間違っている。「恋人にものを頼まれたら断れない(から恋人にものを頼むのはよくない)」という話で、真実を発見したと盛り上がる。

結局ビリヤードにも行った。歌舞伎町の奥にあるアシベビリヤード、1時間440円という破格。健康増進法という厭味な法律のおかげで煙草が吸えなくなったのが残念。親切にもリーフレットに「外で煙草が吸いたい方は同行者を残して受付へお申し出ください」というようなことが書いてあったが、つまり全員煙草を吸う場合でも誰かは残しておく必要があるということだ。また一人で行った場合には煙草を吸いに行けない。ナインボールを四ゲームして1時間で出る。最後のゲームで、7・8・9を連続で落とせて気持ちが良かった。その程度の腕前である。西武新宿駅前の喫煙所で一服してから解散。なお彼は煙草を吸わない。道中、鍋が路上に落ちていた。歌舞伎町のドトールの前あたり。ヨドバシカメラの破れた紙袋、壊れた箱、そして飛び出している鍋。異様で、それに気づいた人は「何事?」とか「上から落ちてきたのか?」とか反応していた。全然よく判らないものが道に落ちていたら、面白いですよね。タモリさん、これってアートになりませんか?

家に着いてからは何もやる気がせずごろごろして過ごす。以前(おそらく放映時に)途中まで見た『大豆田とわ子と三人の元夫』を最初から見直す。このドラマ面白いけどノリが疲れるんだよなあ。でもまあたぶん面白いから最後まで見よう……、という気持ちになっている。Twitterで云ったんだけどこれは令和のトレンディドラマですね。あとカンテレ制作なのに東京が舞台で俺は悲しい。大阪でこういうの撮れないんですか? というかカンテレ制作のドラマで大阪が舞台のもののほうが遙かに少ないと思うけど(全然知らないけど)。

あとひと月半で学生という身分が終わるのでいまのうちに気楽に、何も考えずに好きなだけ本を読んだり映画を見たりして過ごしたい、と思っている。まあ五年間そうだったんだけど。五年もふらふらしていたのかと思うと、驚く。五年……? 何かに五年も費やせばひとかどの人物になり得たのではないか。実際にはひとかどどころか自分の生活を自分で賄うことも怪しい。どうなっているんだ? メメント・モリ。

メメント・モリといえば、最近死の恐怖にずっと囚われている。子供の頃想像するような内容のやつ。俺はいまこんなにいろいろなことを感じてこんなにいろいろなことを考えているのにそれができなくなるってどういうこと? 全然わからない。俺だけじゃない。身の回りにいる誰も彼もがいつか(百年もしないうちに)意志することを終える。ではいまここにある意志は何のためにあるのだろう? これはいったい何なのだろう? そういった質問の答えは永遠に判らないと知りつつ、そういうことを延々と考えてしまう。そういう恐怖に囚われるのって小学生ぶりくらいで、もう終わったものと思っていたんだけど。最近になって、一年ほど前に人生で初めて葬式に出て、それが自分より若い人のものだった、というのがこの恐怖を思い出させた原因だと気がついた。老人が死んでもきっとこうは思わなかっただろう。