2022年2月17日 木曜日

ここ数日昼下がり、というか夕方に起きていたので、ここでひとつ起き続けて常人の起床時間に近づけていくかとそれをやっている。人生で一度もそれをやったことがない人もいるのかもしれない、と思うとつらい気持ちになる。こちらは睡眠薬を服用してもなおうまく眠れない夜——そして起床時間が遅れていく夜——もあるのに。夜通し『大豆田とわ子と三人の元夫』を見続けた。全話見た。途中、友人らとウクライナ情勢について電話したりした(なにそれ?)。

11時からアルバイト。在宅勤務ゆえ途中うとうとしたり(うとうとどころか熟睡していたり)したのだけど終わってみるとこなした件数としてはいつもと変わりなく、たぶんひとつひとつが軽い目の仕事だったからだと思うが、不思議な気持ちになった。朝の6時くらいには煙草が切れていたのだが買いに行く気力がなく、また不思議と吸いたくもならなかった。

アルバイトが終わってからマクドナルドへ行く。夕暮れが大変綺麗だった。坂を下りるときに遠くに山肌がはっきりと見え、いつも山のシルエットばかりが浮かんでいるのにどうしたんだろう。街の灯りと相まって美しかった。マクドナルドを出てから煙草を吸った。くらくらするように美味しかった。

睡眠不足のとき、頭は感傷に支配されやすい。またいつもより感覚も鋭敏になっている気がする。睡眠が足りていないというのは生存にとって喜ばしい状態ではないはずなのだから余計な機能を取っ払って、生存に対して合理的な機能を働かせればよいのに、なぜか生存とは程遠いような感傷の方向へ振れてしまう。それはなぜだろうか。疲労で正常な判断力が失われていると考えれば妥当かもしれないが。

人気のない公園で、まだわずかに明るい西の空が徐々に昏むのを眺めながら、煙草を吸った。イヤホンをつけてフィッシュマンズのLONG SEASONを聴いたらいつもは聞こえない音が聞こえてどうなっているんだろうと思った。耳孔にイヤホンがよくフィットしただけか、それとも。煙草を持つ左手が本当に冷たかった。恒温動物じゃなかったのか?

もう金曜日の気分だな、と思いながら帰宅してこれを書いている。