2022年2月24日 木曜日 焼肉と戦争

アルバイトをしてから、渋谷へ。俺が少しだけ潜っていたゼミの友人(Y)と、彼が働いているバーの常連さんでWeb制作会社を営んでいるSさん、そしてYのゼミでYと俺の共通の知人であるH君という面々。Sさんが会員権を持っている会員制の焼肉屋へ行く。

SさんとYは系列の店に何度か行ったことがあるらしいが、渋谷のは初めてらしく、最初店がどこにあるのか全然わからなかった。ドアにちっさく焼肉と書いてあった。

肉は美味しかった。焼肉久しぶりだなあと思いつつ、ウクライナの戦争のことを考える。片やミサイル、片や和牛ユッケ。どうかしている。でも異国の戦争を考えなくても、つねにその格差はある。ここまで極端なものでなくても。自分が普段見て見ぬふりをしていることが、ただ象徴的に意識されやすい形で現前しただけだ。

俺とYは一緒にWebの受託制作をしていた。H君も俺と同い年だが映像編集や撮影で食べている。Sさんはもちろんそれで食べているので、酒が入ってくるとフリーランス稼業の話で盛り上がる。Sさんは「フリーランス稼業には人間力が必要だ」と言っていた。人間力というのは、焼肉をさっさと焼いて人に振り分けるような力らしい。俺もYもそういうのが本当に不得意で、俺は気が遣えないし、Yは気遣えるけど行動がそれに追いつかない。道理で、という感じがする。

H君に映像編集の単価を聞くと、業界の相場では「10分くらいの映像で、凝った編集がなければ五、六千円」という。俺とSさんが同時に「えっ」と声を出してしまう。安すぎるのでは? 時給換算では、彼の場合だいたい千六~七百円とのこと。

もちろん、二極化が激しいというか、お金を持っているクライアントはそれなりの額を出すし、そうでないところはそうでない。そして最近映像編集の需要は高まっているが、同時にそのスキルを(簡単にでも)身につけた参入者も増えているので、相場が下落してしまっている様子。「フリーランスならば、どんなペーペーでも時給換算で三千円か四千円の単価を得る必要がある」とSさんは言う。税金や社会保険料の支払い、そして雇用保障が無いことを考えるとそれは高額ではない。

店を出て、まだもう少し飲もうということでタクシーで恵比寿へ。お会計は焼肉も二軒目も全部Sさん持ちなのでありがたくついていく。恵比寿にある大箱のジャズバーみたいなところへ。結構客を選ぶタイプの店らしく、うるさ型のマスターがおり、大声で喋ったり写真を撮ったりすると怒鳴られて追い出されることもあるとかいう。我々は幸い注意されることもなく、真空管から流れる音楽を楽しんだ。雰囲気が良く、うるさ型でも潰れないだけの店ではあった。十時過ぎに解散。付き合いもあり、久しぶりに酒をそれなりに飲み、頭が痛かった。酒を飲んで気持ちよくなる時間が訪れず、なんとなく躰が熱いなと思ったあと頭が痛くなり、頭痛がおさまるころには酒も抜けているという、酒を楽しめない体質。


贅沢で素敵な夜だったが、そうであればあるほど戦争のことが思い出される。

大学一年の夏だったか、気乗りしないアルバイトのため俺は朝から背広を着て大宮に向かっていた。電車は同様の通勤客でそれなりの混雑。そこに、北朝鮮からのミサイル飛来を告げるJアラートが鳴った。あの頃、北朝鮮は頻繁にミサイルの射出を繰り返していた。

客は一様にスマホを見ていて、だからそこに通知されたJアラートに気づいたはずなのに、まったく動じない。誰も何も言わない。俺は思わず周りの顔を見回したが、みなただ画面を見たりぼんやりしているだけ。もちろん、自分だってこのミサイルが本当に日本に着弾するとは思っていなかった。だけど本当に着弾しないかなんて判らないのに、みな押し黙って会社へ向かっている。狂っている、と思った。本当にミサイルが飛んでくるなら、通勤なんかやめて今すぐ反対方向の電車に乗って家へ戻り、配偶者や子供に愛の言葉でも伝えた方がいいのではないか。いや電車の運転士や車掌だって大切な人があるだろうから電車を止めてもらって構わない。それで皆、恋人や友人や家族に電話でもして人間に戻ったらどうだ、と思いながら、俺も何もしなかった。そのまま大宮に向かってアルバイトをした。たぶん本当にミサイルが飛んでくるときもこうなのだろうな、と感じた。

どれほどの量の酸素に包まれて眠るふたりか 無垢な日本で1 (小佐野彈)

それが現実の光景となっている場所がある。戦争反対、と思う。戦争反対(医療崩壊に瀕しているなか強行されたオリンピックすら中止にできなかったのに?)、戦争反対(自国の公的機関が外国人に対して暴力を行使していることすら止めさせられないのに?)、戦争反対(ツイートやストーリーでお気軽に述べるだけで、街や電車で声に出して叫ぶこともできないのに?)。そんな声は空しい。そんな声は。

翌朝、酒のせいか寝付きが浅く早く目覚めてしまったので、電車で朝早くからやっている喫茶店に行った。そしてこれを途中まで書いた。帰り道、幹線道路に面した喫煙所で煙草を吸った。よく晴れた爽やかな朝。車が行き交い看板や建物が軒を連ねる。文明だな、と思う。発展した文明だ。それがまだ機能していることが不思議だ。なんとなくそれらがすべて焼け落ちた姿が幻視され、オーバーラップして見えた。

繁栄のこの夜を熱き涙もて思い出す日の来たるかならず (林和清)


  1. ここで小佐野が「無垢」ということばで意味しているのは、実際には性の多様性についての理解が浅い社会のことだろう。ただほかの面でも日本が「無垢」である点はあるように思われる。