2022年2月26日 土曜日

朝早く起きた。昼渋谷へ向かう。在日ウクライナ大使館が宣伝していたデモに参加するため。良い天気で暖かかった。電車に、高校のとき付き合っていた人と同じ柔軟剤を使っている人がいた。たぶん柔軟剤だと思うんだけど、それが何の匂いなのかは正確にはわからない。数年に一度、その匂いを感じる機会があり、そのたびにこれ何の匂いなんだろうなと思う。


デモは13時からという話でギリギリに着いた。ハチ公前広場にウクライナ国旗やプラカードを掲げた人たちが大勢いる。音響機器の到着が遅れるとかで最初の十五分くらい、主催者のアナウンスがよく聞こえないような状態でみんな棒立ちしていた。誰かが何かを知らせているが街頭ビジョンの音量に負けてよく聞こえないという状態。ハチ公前って本当にうるさいんだなと思った。普段、そこに留まることはないので、気づかなかった。

機器が来て、ウクライナの国歌が流れ、それからシュプレヒコール。「ウクライナに平和を」、「Stop Aggressor」、「戦争止めろ」、「Stop Killing Ukrainian People」などと日本語と英語で繰り返される。たまにウクライナ語と思しきコールも。周りを見渡すと、こうしたデモにしては珍しく、反戦プーチン批判以外の政治的主張を掲げている人が少ない。たとえば九条守れとかね。プラカードの感じなどからデモに手慣れてそうな人は一割くらいと思われた。

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しばらくして、仕切り役から「かなり人が多くなってきているので難しいとは思いますが間隔を空けてください。またウクライナ国旗を持っている人は前の方に、そうでない人は後ろの方に」とのアナウンスがあった。「ハチ公前広場を、ウクライナ国旗で埋め尽くす感じで」と。おそらく日本人の担当者の、その言い方が妙に軽かった。

それで特に何も持っていないので後ろの方に移動すると、2畳分くらいある巨大なウクライナ国旗を何人かが持っていた。日本人(と思しき人たち)もウクライナ人(と思しき人たち)もいる。国旗の下ではなぜか子供が歩き回っていた。へえと思って近づき、写真を撮ったりしていると、ある角を持っていた女性が誰かに話しかけられて手を離し、国旗がたなびいた。思わずそれをつかむ。周囲の白人にメディアが片っ端から取材している。

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そのまま14時にデモがお開きになるまで国旗をつかみ、一定のリズムで揺らしていた。取材を見ていてわかったのだが国旗の持ち主はリトアニア人らしい。なぜこんな巨大なウクライナ国旗を持っているのかわからないが……。流暢な日本語で記者に何か話していた。国旗の下で遊んでいたのは彼の子供のようだ。

国旗の近くにいたある女性が、ビデオ通話をしながら泣いていた。おそらく母親と思われる人と何か喋っている。ウクライナ人で、現地に家族がいるのだろうか、などと考えると胸が詰まりそうになった。他にも何人か涙ぐんでいる人を見かけた。自分は外国にいて、母国は蹂躙されつつある、という状況では無理もない。

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デモは本当は15時までの予定だったが、人が集まりすぎて迷惑になっているというので早めに終わった。主催者発表によると2,000人らしいが、それくらいはまあいたのかな。広場はほとんど人で埋め尽くされていて、JRの改札を出てもスクランブル交差点までなかなか通り抜けられないのではないかという感じだった。


デモに参加して、ウクライナの国旗まで持っていてなんなんだけど、ウクライナという国家に自分は連帯しない。ウクライナ国民に対して自分は連帯しない。正確には、しないように試みている。国家や国民という概念がどれほど多くの犠牲を生み出しているか知れない。

領土を守るために玉砕なんて美しくない。国を守るために武器を取るなんて美しくない。それを美しいと感じてしまうのをどうにかしなければいけない。国を守るのではなく本当に意味するところは大切な人を守るためかもしれないけれど、それであっても悲劇的な犠牲ということに変わりない。

連帯すべきはすべてのイデオロギーによって傷ついている人だと思っている。それはウクライナ人だけじゃない。反戦の思いを持つロシア人かもしれない。連帯という言葉も実のところあんまり好きじゃないんだけど。あまり考えを整理できていないがそのように思っている。


デモの写真を撮っていたらフィルムを撮りきったので現像しようと下北沢へ。渋谷にはキタムラしかなくてキタムラあんまり好きじゃないので。下北のパレットプラザに出して、塩ラーメンを食べて、煙草でも吸うかとトロワ・シャンブルに向かったら五、六人並んでいてびっくりした。

もうひとつ別のカフェに向かったらそこは16時から貸し切りとのこと。そのときすでに15時過ぎだったのでやめる。下北はもう一軒、煙草の吸える喫茶店を知っているので結局そこへ。カウンターしか空いてなくて、常連同士が仲良く喋っていて、うわーと思いながら立ちすくんでいたら一人が手招きして席を差し出してくれたのでそこへ座る。

常連二人の間に割り込んで座る形になり、先ほどまでのおしゃべりはどこへやら、僕が座った瞬間手招きした方の常連は新聞を広げ始めた。気まずいなと思いながら過ごしていたがカフェオレグラッセが到着した頃に新聞が帰り支度を始めたので、それはそれで気まずかったが安心した。

ミシェル・ウエルベック『プラットフォーム』を読みながらマスターと残された方の常連の会話を聞く。

「マスターもういくつ? 六十三、四?」
「今年六十五。になった」
「いやーそうか。しんどくない?」
「しんどいってことはないけど——、ああ、退職金のね積み立てを」
「積み立て?」
「うんなんか中小企業共済のそういうのがあって。去年くらいに三、四百万入れたかな」
「へえー」
「うんあの、損金として算入できるんだよね年間それくらいの額だとね」

下北沢の、そんなに大きいわけでもない喫茶店のマスターでも案外お金をちゃんと持っているものだし、しっかりしているものだ、などと失礼なことを思いながら耳を傾けていた。飲み終わり、現像の待ち時間も過ぎたので出る。

現像を回収して電車で帰宅。帰ってから思いのほか疲れていたのか何時間か寝てしまった。