2022年3月9日 水曜日

アルバイトだったのだが全然仕事に集中できず、ひたすらWikipediaを読んでしまった。リモートワークは意志の弱い人間には敵となるときがある。さすがにオフィスで長々とWikipediaは読まないので……。既にできることを仕事でやるのは良いんだけど、勉強しながら同時に何かをせねばならないという状況が苦手で、新しい知識の入手に取りかかるまですごく時間をかけてしまう。

その新しい知識は仕事とは関係ないというつもりで(業務時間外に)入手しないと「これをさっさと覚えてあれをせねばならない」というプレッシャーで頭に入ってこない。とりあえずぱぱっと与えられたタスクの一部をこなし、すみません全然進捗ないですが次回の出勤で終わると思います、と宣言しておいた。次の出勤までにそれを多少勉強する必要がある。


不動産屋に電話して契約の日取りを決めた。入社前に入居して準備することにしたのであと二週間で引き渡しとなる予定。ただ金がないのですぐにそこにすべてを揃えるというわけにはいかないだろう。とりあえず布団と安い机かな……。モニターと椅子はいま使っているものが良いので家から運ぶ必要がある。あと本をいくらか宅急便で送る。もしこれを読んでいる人で何らかの家具や家電が不要という人がいたら教えてください。


就職するし、引っ越しもするし、いよいよここ五年くらいのモラトリアムに終止符を打とうとしているが、これってなんだったんだろうと思う。単位も全然取れていない。大学で何を得たというのか。代わりにこれをしてました、というものもない。いや就活では、勉強する代わりになんとかをやってました、と云ったわけだが、それが何かにつながっているのかというとそうでもない。これからつながるかもしれないが。ただ自分に能力のないことを認識するために必要な期間だったな、という感じがする。

いろいろなことに手を出してみて、すぐにやめる、という繰り返しだった。ただそれが無駄だったとは思っていない。負け惜しみではなく、それは実際に必要だったと思う。馬鹿みたいな話だが、自分が何者でもないことを理解するために。少なくとも今はそうなれない、ということを認識するに十分だった。ようやく俺は、生活を賄いながらそのときできることをやっていくしかない、一発逆転は(俺には)ない、ということがわかるようになった。

そして今ではそれを望んでもいる。五年にわたり将来の不安を抱えつつ、すべてが自分に任されているという状況は案外辛かった。何をしてもよいときには何もできなかった。もう俺はこんな宙に浮いた状況には飽きた。今はただ、会社に行き、仕事をほどほどにこなし、本を買って読み、気まぐれに文章を書き、静かに暮らしたい。その先のことはその後に考えたい。そしてそれができるかもしれないので嬉しい。長く続くかはわからないが。

大前研一が、「人間が変わるには三つの方法しかない、時間配分を変えるか、住む場所を変えるか、付き合う人を変えるか」ということを云っていた。大前研一の言葉を引くのに恥ずかしさはあるけど、これは至言だと思う。この状況を終わらせるために就職して、(そのつもりはなかったのだが)住む場所も変わるのはたぶん良いことだと思っている。


しかし五年か。五年って結構長いよな。人生の五分の一を彷徨に費やしていたと思うと本当に贅沢な話だな。

いつのことだったか忘れたが、母に「あのときはもっとやる気があって輝いていた」と云われたことがあった。大学生活の前半で、高校のときと比較されて云われたのか。あるいはそれ以前かそれ以降か、状況は何も覚えていないのだが、とにかくそれを云われた、ということが印象に残っている。それは本当に正しかったから。結局そういっただらだらをずっと続けてしまった。

でも仮にいま五年前に戻ったとしても、まったく同じ道をたどっただろう。それで面白いこともたくさんあったしな。もう少し以前に戻っていたらたぶん行く学部を変えていたとは思うが、それでも同じような顛末になっていた気がする。より悪い状況になっていた可能性も大いにある。


退屈をかくも素直に愛しゐし日々は還らず さよなら京都(栗木京子)

今日は本当は、この歌のような気分で文章を書く予定だったのだが、全然そのような気持ちになれない。大学、早稲田だし。会社、四谷だし。転居先、若松河田だし。全然「さよなら」ではなく、むしろ近づいている。

また大学生に特有のあの感じも、正直なところいま付き合っている友人の多くが長い長い学生生活を過ごそうとしているので、いま損なわれるという気がしない。俺が少しだけそこから離れるというだけで。今後も全然くだらない居酒屋で馬鹿話とかしちゃうと思う。カラオケでオールとか気力が保てなくなってきたけどそれ、大学三年くらいからだし。あと数年経てばああ終わりなのだなと思うかもしれないが……。「いっちょエモい文章でも仕上げるか」と思って書き始めたのに全然その側面において感傷的になれない。だめだ。

もちろん周囲にもいくらでも大学を去り働いている人もいて、そうした感傷が絶無というわけではないのだが……。これで会社が大阪とかならばまた違ったのだろうけど、ちょっと高田馬場・早稲田界隈から遠ざかれそうになく、全然「思い出のあの街」とかではなくて今後も行くだろうなという気しかしない。何なら行く頻度が増えるかもしれない。早稲田のシャノアールが閉店したときのほうがよほど感傷的になれた。

逆にいま住んでいる東京西郊に対して感傷的になるかというと、それもならず、電車で一時間もかからんしな……と思ってしまう。この辺の街だと国分寺が好きなんだけど、新宿から国分寺って三十分もないし。普通に実家に物取りに行ったりするだろうし。郷愁を味わいたかった……。ちょうどよいので、このあと東京の東西についてでも別の投稿で書こうと思います。