文章(深夜の暇つぶしとして)

僕はあと二週間程度で週に五日、七時間ずつ(八時間でないのは雇用者の良心と言えるかもしれない)働く代わりに毎月二十数万円程度の金銭を得るという契約を結ぶことになる、実際にはそれは既に結ばれていて、僕がPDF形式の内定承諾書に電子署名をした時点で始期付解約権留保付労働契約を結んだことになるので、その始期が訪れるというのがより正確な表現だが、それによって労働を余儀なくされる。

もちろん僕には契約自由の原則があって、それを締結するだけでなく破棄することも可能だが、そもそも(消極的であるにせよ、それこそ契約自由の原則によって)自らの意志でその契約を結ぶに至る一連の通過儀礼を経験したわけであり、契約を結ばずに今の状況を維持していても状況が改善するとは思えず、実際にここ五年ほどで自分を取り巻く状況は改善するどころか、可能であると思われた経路に足を踏み入れてはそれが閉ざされていることを確認するという手順を繰り返しただけで、自分が取れる手段はそう多くないという認識を経て、ようやくこの道に到達したわけだが、午前三時半に、眠気を感じないわけではないが現実に眠ることとの果てしない距離を感じているような人間にはおそらくその道も閉ざされているに違いない。

幸いにして、労働条件通知書には「フレックスタイム制コアタイムなし」と書かれてはいるものの、労働時間について「八時から二十一時まで」という制約が加えられており、かといってその範囲ならば好きな時間に仕事を始めてよいわけでもない、そのすぐ下には「通例:十時〜十八時」と慎ましく、かつ注意深く記されており、その通例が本当に単なる一般的な事例に過ぎなければ良いが、そうではなく(開始時刻については)遵守すべき項目であることは言うまでもない。

睡眠に対して、生まれてこの方困難を覚えているが、実際には睡眠そのものは僕を苦しめず、起きていればやがて眠くなり、自然と眠りに落ち、しかるべき時間熟睡することができる。つまり自分を苦しめるのは睡眠ではなく、適切に睡眠を取りつつ毎日決められた時間に行動することで、だから生まれてこの方というのは噓で、幼稚園に入って以来というのが正しいが、自由なやり方であれば睡眠とうまく付き合っていくことができるのに、それを制限して睡眠を管理せねばならないというのがたまらなく苦痛で、しかし自分が雇用主ならば多少ぼんくらであっても夜はすぐ眠りにつけて朝はすっきりと目覚めることができ、毎朝九時には律儀にオフィスで業務を開始している労働者を採用したいのだし、世の中にはどちらかといえば優秀で、かつ毎朝律儀さを見せることのできる労働者がいるので、彼らを圧倒的に上回る才能を発揮するならまだしも——それであっても同等の才能を持ちそのうえ毎朝律儀さを上司に見せることのできる人間がいくらでもいるわけだが——まかり間違ってもそうではないので、どうにか睡眠を管理していく必要があり、そしてその試みはことごとく失敗してきた。

睡眠の管理は自分にとって最も憂うべき事柄の一つだが、仮にその問題が解決したとしても、ここは依然として愚にもつかない場所であり、たとえば僕はチョコボールの「キャラメル」が好きだが、それはかつてコンビニで七十四円で買え、いまでは八十四円であり、自分が初めて買ったとき四百五十円だったセブンスターは六百円になり、僕が物心ついた頃はたしか二百円台だったと思うが、賃金は大して上昇していないのに(場合によっては下落しているのに)人生に絶望しなくて済むための手段にかかる費用は上昇し続けており、最近では複数人でアルコールを飲むことで一時的に現実から逃れるための会合も、感染症の流行を踏まえて良識ある人々の間では制限され、また良識があろうとなかろうと、種類提供は午後八時までという愚かな規則が適用されている店が大半で、そうでなくともアルコールとニコチンを同時に楽しめる店は大幅に減少していて、ここはどのような世界なんだと思う。

入学時にそれなりの選抜を課す高校と大学に在籍していたため、周囲には一流企業に勤める者も多く、彼・彼女たちは一流企業に就職するに留まらず、就職するやいなや証券会社の口座を開設してNISAだかiDeCoだかくだらない名前のついた資産運用の取り組みを始めるという如才なさを見せているものの、毎朝律儀に出勤することのできる彼らであっても、その賢さを鑑みれば、自分は老後の資産を形成するために生まれてきたのかという疑問を抱いているはずで、持ち前の要領の良さでその疑問を上手く放棄しながら出勤し、誰も幸福にすることのないが、人々に老後の安心という実体のないもの——いくら金があっても安心できる老後などない——をもたらす金融商品を開発したり、とってつけたような緑地やアートスペースを設けることで、消費者にややましな休日を送っているという幻想を抱かせることを目論んだ商業施設を企画したりして、世界をさらに愚にもつかないものにするべく必死に働いているのだろうが、それはやがて我慢できないものとなり別の道を模索してあえなく失敗し、なけなしの退職金や形成した資産をふいにして失意のうちに死ぬか、あるいは我慢し続けることに成功したものの「これはなんだったのか」という疑問が浮かぶのを必死で覆い隠しつつ、形成した資産を特別養護老人ホームで切り崩しながら死ぬのだろう。

このような文章を書く割に楽観的なので、何かしらまともな道が残されているのではないかという希望を未だ失っていないが、それも若さゆえに可能なことであり、あと二十年もすればその希望はほとんど完膚なきまでに損なわれているだろう。四十四歳の人間には来るべき将来などなく、ただおおむね定まってしまった人生をせいぜいこれより悪くならないように必死で維持しようとするものの、避けることのできない身体の衰えによって否応なく悪くなっていくという過程を大方の人が経験しているに違いない。もしかすると子供を持つことによって、その成長を生きる望みとして、あるいは義務として、かろうじて命をつなげているのかもしれないが、子供の人生はどこまでも子供の人生であり、実際のところ自分の人生、特にその意義とはほとんど関係がないのだし、子供からすれば人生の目的が自分である親を見ながら育つのは暗澹たる経験である。それよりも自分の人生を追究した結果離婚する親の方が随分見ていて愉快だと思うが、その過程で財産を失ったり犯罪に走ったりすると、結局は子供の人生も不快なものとなる。どの道彼もやがて四十四歳になり、同じ立場に置かれるのだが。

一体どこに救いがあるというのだろうか? 僕は世の中に多くのことを求めすぎているのだろうか? 二十一世紀の先進国に生まれただけ、自分の幸運に感謝せねばならないのだろうか? なるほどその考え方は一理あるかもしれないが、そんなものはこの苦境をいささかも改善せず、なぜならこの苦しみは二十一世紀の先進国に生まれたがゆえに生じているものだからで、しかし十六世紀のフランスであれば別の苦しみがあっただろうし、それよりは僕はいささか高次の段階で苦しんでいるのかもしれないけれど、二十五世紀のラオスであってもまた別の苦しみがあるのだろうし、それは想像がつかないが、どのような時期にどのような場所で生まれても苦しみからは逃れ得ないのだろう。

人生で最もましだった時期が大学時代だった、という結論に至る可能性は七割よりは高いと評価していて、これはかなり楽観的なもので、実際には九割より高い。残りの一割弱に、二十代後半から三十代前半だった、という可能性が残されている。それであれば、僕はいま人生で最も輝かしい時間の終わりを目の当たりにしているのであって、こうした文章を書いてしまうのも仕方のないことだろう。新聞配達のバイクが、朝が到来しつつあることを告げている。眠れない夜は困難であっても豊かだが、眠れない朝は困難であるだけでなく悲劇である。