近況(2022-07-13)

これを読む人のほとんどは、わざわざ近況を文章に認めなくても、自分がいまどういう状況にあるのか知っていると思うけれども、文章のリハビリとして書く。

就職して三月弱が経つ。なぜかわからないが、めっきり文章が書けなくなった。質はともかくとして、以前は書こうと思えばいくらでも書けたのだが、ちかごろはうまく文章がまとまらない。でも一番書けなかったのは先月くらいで、最近少し復調してきたかなと思う。だからこれを書いている。

職場では校閲に配属された。勤め先は、書籍の編集者になる場合、そのまえに校閲で修行をするしきたりになっている。期間はばらばらで、たとえば他社で編集の経験を積んでいる中途の人だったら一ヶ月のこともある。自分のように新卒で入ったとか、あるいは関係ない業種出身の場合は数カ月。とりあえず次の三月いっぱいまでは校閲をすることになる予定。

わりとTwitterなどでは何もかも気だるいみたいな、斜に構えた素振りを見せているのだが、実のところ仕事熱心なほうだと自覚している。もちろん遅刻するとか就業時間中に眠ってしまうとかそんなことは当たり前にあって、普通そういう人のことは仕事熱心とは呼ばないのだと思うが、それはそれとして仕事に対して決して後ろ向きではない。ものにもよるけれど。

そもそもそんなに斜に構えてもいなくて、高校は勉強も部活も学校行事もみんなで熱心にやりましょうみたいな校風だったし、大学でも学園祭の運営をやっていたくらいで、どちらも斜に構えた人間が選ぶような場所ではないと思う。そのなかでは斜に構えた方だったには違いないが。

などと書きつつも、相変わらず就職してもうまく生活リズムをつくることができない。在宅勤務をしていて昼間眠っていた分を夜更けに取り返したりしている。思えばこれまでもずっとそうで、気が重いとかあるいは体調が悪いとかでできなかったことを調子の良いときに巻き取って辻褄を合わせる(合わせられないこともある)、という手法にばかり頼ってきていた。

辻褄が合わないと大変だし、合わせられたとしても徹夜でカバーしていたせいで昼間また眠いみたいな悪循環に陥りがちで、そのやり方に限界があるということはとうに認識しているものの、なかなか毎日一定のペースでみたいなことができない。最終的に気合いでなんとかするから今日は寝かせてくれと思う。

会社に行くとさすがに眠ることもなく、仕事もある程度集中して——とはいえ一時間半に一回は煙草を吸いに席を外しているが——できるのだが、よく知らぬ人間が大量にいるというだけで気が張って疲れるので、毎日会社に行くとほかのことがなにもできなくなる。掃除とか。配属されてから二週間くらい毎日出社していたのだが、それはもう見事に仕事しかできなかった。疫病以前は勤め先も当然、みな毎日出社していたらしいが、それでは耐えられなかったかもしれない。

いまは原則として在宅勤務が推奨されており、ただ出社が拒まれているわけではなく、自分は新人なので(そしてどうしても印刷された物体と離れることができない職種なので)、週に二回は出社を求められている。そこにプラス一回くらいがちょうどいいバランスなのかもしれない。

そんなことを考える一方で、おれは一体何をやっているんだろう? という気持ちにもなる。たとえば業務に関連する本を自腹で購入して勉強することも厭うほうではないが、それって資本主義にとって、と云って大きすぎれば、会社にとってより重要な歯車になるべく努力しているようなもので、結局歯車には変わりなく、そんなことのために生まれてきたのか、と感じる場合もある。

とはいえ、自分に大したことができないのであれば、資本主義にある程度適合し、自分の生活が(労働者としては)良いものになれば、まずはそれで十分じゃないかとも思うのだが、その考え方自体が実に資本家にとって都合の良い考え方であるに違いなく、なおさら厭気が差す。


先日高校のクラス会があり、随分と懐かしい顔も見えて、久闊を叙する形になったのだが、そこであるクラスメートに「いま働いてるんだっけ?」と尋ねたら「そう信金で」と答えた。

ああそうなんだ、と返したら彼女は、「私仕事に対しては何も求めてないからさ。生活の手段っていうか。仕事は仕事で、自分のやりたいことは他のところでやろうって」と矢継ぎ早に述べた。

別に何も云っていないのに……と思いつつ、その言葉がとても印象に残った。「そういう考え方もありだよね」みたいなぼんやりした言葉を返した覚えがあるが、実のところ自分はそういう考え方はできない。ふつうの職場なら週に五日、八時間程度も時間を使うというのに好きでもなんでもないことをして割り切れはしない。彼女にはそれが割り切れるのだろうし、そして自分のやりたいことを空いた時間にやる要領の良さも実際にあると思うので、そういう点で尊敬はしているけれど。

また一方で、クラスメートにバイク好きが高じていまはヤマハ発動機だかでエンジンの設計をしているという人もあり、そちらは素直にかっこよく、羨ましいと思った。そういうことを考えると、自分にとっては仕事が好きであるに越したことはなく、またできるようになればより好きでいられると思うので、仮に資本家にとって好都合であるにしても、自分にとっても(幻想かもしれないが)好都合なのでやはり頑張ろうと思ってしまうのがまた、難しいところなのだが。でも、別にそんなに頑張ってないから大丈夫だった。