近況(2022-08-24)

夏が終わりかけている。数日前のことだったと思うが、空は晴れてはいたが蒸し暑さがなく、まるで梅雨に入る前に何日かやってくる暑い日のようにからっとしていた。それから数日、決してからっとしているとは限らないが、明らかに暑さが和らいでいる。

これくらいの時期、夜の散歩はとても素晴らしい。暑くも寒くもなく、ときどき吹く風は涼やかで、どこまでも歩いて行けるような気持ちになる。なるものの、実際にそうはしない。それどころか、ここ最近新宿区内から出ることは極めて少ない。

家でじっとしていることが苦手なので、大抵どこかしらには外出していると思うが、平日は会社と自宅とせいぜい外食、休日はそれに喫茶店か図書館が加わるくらいだろうか。会社も新宿区内だし、ご飯屋など会社か自宅の周囲にいくらでもある。友人と遊ぶのも、何人かの友人が飯田橋(の新宿方面)にシェアハウスをしているせいで、そこに向かうことが多い。

実家に住んでいた頃は、そうではなかった。家の周りは、東京西郊に途方もなく広がっている住宅街の一角で、まともな喫茶店のひとつも駅前まで出なければなかった。喫茶店で本を読もうと思って国分寺の駅前まで、あるいは新宿まで出ているような始末だった。出不精になったわけではないが、行動範囲がずっとコンパクトに、せいぜい自転車で行き来できるような範囲になったとは言える。


会社勤めになっても、相変わらず夜中の散歩をやめられない。睡眠薬を服薬していても、ふとしたことで生活リズムが崩れ、どこかで無理をして帳尻を合わせている。そんなことは絶対に長続きしない。そろそろそれをやめなければならない。眠ろうとしても眠れない日も実際あるのだが、それよりもなによりも、夜が好きなせいでまだ寝たくないと思ってしまうことが生活リズムを崩す主因である。

夜は自由だ。いまは本を読んでいる/映画を見ている/散歩をしている/誰かと電話している。その甘美な時間をやめて、眠って朝が来たらまたつまらない仕事がやってくるだけだ。仕事は絶望するほどつまらないわけではない——もっとも近いのは「耐えられる」という感じだが、散歩や読書に比べてしまえば楽しくない。そもそも俺が一番耐えられないことは、毎日決まった時間に何かをせよと課せられることなのだ。

しかしそれに耐えなければならないだろう。俺は客観的に、恵まれている境遇にあるのは間違いない。その素晴らしい読書に必要な本をつくることに関わっているのだから(必ずしも、自分が読んでいて面白いと思うような本をつくっているわけでもないが)。俺はそれに必要な考え方や技術をぜひとも身につける必要がある。だがそのような決意はまったく意味をなさない。なにかしらの仕組みを講じることによって問題を解決しなければならない。意志が意志そのもので可能にすることなどほとんどない、とりわけ注意欠陥・多動性障害の人間にとっては。


最近周囲で結婚の話が出ることが多い。誰それが結婚するとか、あるいは次に付き合う人とはそれを考えなければならないとか、いろいろな形で。結婚なんか興味がないけど、どこかしらで落ち着きどころを見つけなければならないのかもしれない。しかし結婚しても夜な夜な散歩をしていてもいいのだろうか。誰にも邪魔をされずに本を読めるだろうか。そんなことを考えている時点で他人と生活を共にすることには向いていないのではないか。自分ひとりの生活がままなるわけでもないのに。まだそんなこと考えたくないのだが、考えなくてはならない状況に置かれつつあることが怖い。俺はまだ学ばないといけないことがたくさんある。


最近読んだ本から二つ。

朝日新聞の記者が市井の人に対して行った度重なる取材。「まじめに働けばまともな報酬を得られる社会はどこへ行ってしまったのか」という、上と下へと分化しつつある中流階級の叫び。日本でも状況は同じかもっと悪いだろう。『2』に掲載されているバーバラ・エーレンライクの言葉は自分の問題意識と共通している。

消費行動にも変化が起きた。乗っている車、食べるものの選択、着ている服は天然繊維か化学繊維か、タバコを吸うか吸わないか、そんな違いから、二つの階級の人々が一緒に時間を過ごすことが困難になった。かつて冗談で言っていたのですが、私は労働者階級のパーティーに参加できる最後の左派である、と。私は、酒を飲む人がいても気にならないし、タバコの煙も気にならない。でも私と同じような収入レベルの人々は、そうした暮らしについて極度に道徳的になっている。「え?! そんな肉を食べるんですか?」「タバコを吸うんですか?」といった態度で、そんな人々とは付き合えない、と。

最近聞いた音楽。

My Little Airportは香港では有名なインディー・ポップ・バンド。歌詞はおおむね広東語だったり英語だったりする。特に前者は、もちろん自分には意味が取れないのだが、それが聞き流すにはちょうどよい。歌詞でどんなことを描いているかはnoteで詳細な解説を寄せている人がいる。