2022年1月30日 日曜日 首都高速

体調はかなり戻ってきた。今日は首都高速の話をしたい。


首都高速は東京でもっとも好きなもののひとつだが、あまり堪能する機会がない。免許を持っていないので。しかし夜の首都高速はたいへん素晴らしい。日本が持っていた豊かさの象徴という感じがする。

都市高速特有の浮遊感はなんなのだろう。首都高速はたしかに現実のものなのに、そこには現実感がない。摩天楼が大きく現れたと思えばすぐに視界から外れる。リズムを刻むように街路灯が流れていく。航空障害灯もまた明滅し、シンコペーションを織りなす。そして車もまた、移動する光点として都市を構成している。

橋、中央分離帯、防音壁、トンネル、ジャンクション、インターチェンジ。高速道路を構成するすべてに機能美がある。緑地の標識や、ときどき思い出したように登場するLEDの道路情報表示もまた同様だ。それらは条件と目的を満たすことだけを要求されたゆえに、美しい。

道路の名前もまた美しい。都心環状線、4号新宿線、湾岸線、神奈川1号横羽線。いずれも奇をてらっていない。「東武アーバンパークライン」や「東京さくらトラム」のような厭らしさがない。都心を回るから都心環状線。新宿を通れば新宿線、湾岸を通れば湾岸線。横浜と羽田を結ぶから横羽線。そもそも首都高速道路自体が安直なネーミングだが、それは安直さというより高速道路全体を貫く機能美のあらわれだと思う。

他人が運転する車で首都高速を走るとき、それはほとんど至福と云ってもよい。運転に注意を払うという現実から離れて浮遊感のみを味わえるのだから。もし夜の首都高速をただ巡回するだけのバスがあったら素敵だろうな。福岡には高速道路を走る路線バスがあるのだから実現しないものだろうか。

ああ、首都高速よ。それは我々の文明がなしあげたひとつの達成である。合理も突き詰めれば美となる。いくら言葉を積み上げても首都高速の素晴らしさをいくらも伝えられない。なぜならば首都高速は装飾によってではなくその簡素のゆえに素晴らしいのだから。遠くない将来、我々の経済は滅びて、首都高速もまた維持できなくなるだろう。しかしその素晴らしさは、我々の文明が消滅するまで人々に語り継がれることだろう。首都高速よ永遠なれ。


最後に、首都高速にもっともふさわしいと思う曲をご紹介します。ほかにも首都高速を走るときに流れていてほしい音楽はいくらでもあるが、ひとつだけ。


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