2022年1月31日 月曜日 日記

去年の大晦日から日記を書き始めたので今日で一ヶ月ということになる。ブログの「日記」カテゴリにすでに31本の記事があるので昨日で一ヶ月なのかもしれない。うん、12月31日から1月30日が一ヶ月な気がする。でもとにかくこれを始めたとき、1月31日まで日記を毎日書こう、と思っていた。

なぜかというと、何人かに日記を一ヶ月書いてもらい、それをまとめるという同人誌をつくろうとしているからで、実のところ次の文学フリマ東京にも申し込みを済ませているのだが、まず隗より始めよということで日記を書いてみたわけだ。様々な事情によりごく短い日もあるが、とりあえず毎日日記を書いて投稿するという目標は果たせた。


日記を書くのは、結構難しい。このブログのように他人に読んでもらうことを前提としているのならなおさら。単なる出来事の列挙はつまらなくなりがちである。僕がそれの読者と(たとえば時代や国や職業などで)距離があれば、単に起きたことを書き連ねていくだけでも面白いだろうけれど、今のところ自分とおおむね同じような境遇にいる人に読んでもらっている。

他人に読んでもらうような出来事は何もない、と思ってしまうときもある。本当は一日一日が特別で、こちらの側にそれの素晴らしさを掬い上げる眼がないのだろうけれど。インターネットにはとてもじゃないが書けない出来事もある。この日記は、現実の自分から少しは距離を置いたところで書いているけれど、それでも難しいときはある。たとえばアルバイト中に起きたこととか。そういうときはそのとき考えていることを書くようにしていた。

でも日記を書くというのはやはり必要だと思う。毎日じゃなくても。なぜならそのときあった出来事だけでなく、そのとき自分が何を考えていたかすら、少しすれば人間は忘れてしまうから。それがすべてでなくとも、一部でも文章として残されるのは良いことだと考える。


この日記をひと月書いてきてよかったのは、周囲で日記を書き始める人が何人か出てきたことで、それは必ずしも僕だけに影響された訳ではもちろんないだろう。そもそも僕が冒頭の同人誌を思いついたのも素晴らしい日記を書く人が周りにいたからだ。でも昔からずっと、他人の日記を読むのが本当に好きなので嬉しかった。

僕が最初に日記の面白さに出会ったのは山田風太郎『戦中派不戦日記』だった。これは作家の山田風太郎がまだ作家ではなく医学生だった頃、1945年の1年間を綴った日記で、大変素晴らしい。実のところ出版時に多少の手が加わっているらしい——たとえば死後に手を入れずに出版された、1946年の日記に記された考えが1945年の日記に登場しているなど——が、それでも日記の価値は損なわれていない。

それ以降、日記をそれなりに読んでいくようになった。『中原昌也作業日誌』、鳥飼茜『漫画みたいな恋ください』、二階堂奥歯『八本脚の蝶』。phaがnoteに昨年末まで書いていた『曖昧日記』も購読していた。古賀及子『まばたきをする体』や黄金頭『関内関外日記』なども定期的に読んでいた。

今挙げたうち、山田風太郎の日記は、なにせ後年偉大な大作家になる人のものだし、時代も離れているし、環境も異なるのでそれは面白く読めるというものかもしれない。ほかのものも出版されているくらいだし、そうでなくとも漫画家や編集者や作家として活躍している人の日記で、それらはレベルが高くて当然なのかもしれない。

でもそうでないもの、いわば素人がインターネットの海に放流しているような日記(これもそうだが)でもわりと面白い。そのことに改めて気づかされたのは、昨年の四月から高校の先輩・同期・後輩あわせて十人で毎日書いている交換日記だ。普段文章をまったく書かない人でも、むしろだからこそ(もともと仲が良い人のものだからという補正を差し引いても)やはり面白いのだ。同人誌の思いつきにはこれも影響している。


とりあえず一ヶ月書いたので肩の荷が下りた。でも毎日でなくとも、今後も可能な限り続けていこうという心づもりでいる。「今日は忙しくて書けない。」で終わらせるような日はさすがに書かなくてもいいかなと思うが……。そのうち飽きてしまうかもしれないが、それまでは。

これを読んでいる人もぜひ日記を書いてください。そうでなくともインターネットに転がっている面白い日記を教えてください。よろしくお願いします。