2022年2月3日 木曜日 カフェオレ

昨夜は友人の家に泊まった。夜の一時くらいに寝て朝五時くらいには起きた。その日、昼の一時に起きたのであまり眠れないだろうと思っていたが、そうなった。

昨日はその家に男が五人いたのだが、朝早くから用事がある人が多く、俺も七時過ぎに家を後にした。在宅で11時からアルバイトなのだが、それまでカフェでも行こうと思い。普段朝食をとらないが、食べる場合は結構しっかり食べられる。今日はフレッシュネスにしよう、と思った。それで帰り道にある向ヶ丘遊園の店舗へ。

向ヶ丘遊園は何ヶ月ぶりか忘れたが、たぶん三、四ヶ月ぶりだと思うが駅前が様変わりしていて驚いた。北口はタワマンと昭和が共存しているようなエリアだったのだがその昭和側がほとんど更地になっていた。とても悲しい。

街は、変わるときはあっという間にその姿を変える。おそらく更地にはこぎれいなビルやマンションがたくさん建つのだろう。これから街を訪れる人はかつての街並みをきっと知り得ない。悲しいけれど、それを知っているだけ自分は幸運なのかもしれない、と思う。


食後、登戸のドトールまで歩いてカフェオレを飲んだ。登戸は向ヶ丘遊園の隣駅だが歩いて十分もない。ここのドトールはなぜか、いまだに煙草が吸えるので重宝している。

冬でもわりと冷たい飲み物を飲んでいるのだが、コーヒーや紅茶はホットで頼むことがある。今日もそうした。大抵コーヒーカップに入れて供されるわけだが、持ち手の部分が外れるのではないかといつも思ってしまう。

飲みながら、カップの持ち手が取れることを想像する。熱いカフェオレがジーンズにこぼれるだろう。やけどするのだろうか。しないまでもかなり不快だろうな。コーヒーと牛乳の混ざった匂いを漂わせるジーンズを想像する。できればお目にかかりたくない代物だ。

いや、なぜせっかくカフェに来ていながらこんなことを考えねばいけないんだ。そもそもコーヒーカップの持ち手が取れるのを見たことがあるのか? こんなにしっかりくっついているじゃないか。いかにも丈夫そうだ。

しかしいかに丈夫とはいえ、「DOUTOR」と書かれたこのカップはおそらく何千回何万回と使われているだろう。何度となくこの持ち手を使ってコーヒーが飲まれただろう。持ち手の耐久力を超えてしまうのではないか。付け根の部分はもう限界に近い。

次に持ち上げたとき、付け根にひびが入るのかもしれない。持ち手から離れた本体がくるくると落下する様子を想像する。それはスローモーションに見えるだろう。茶色の液体が空中にまき散らされている。熱い、と感じるほんの少し前に女神が現れて動きが止まる。彼女が瞳を閉じると付け根のひびは消えてカップは手のうちにおさまっている。

カフェオレの女神に抱かれ溶けてゆく真白の泡にみな口付ける (渋谷美穂)


と、穂村弘に影響を受けすぎている文章を書いたのはドトールで『にょっ記』を読んでいたせい。ドトールには本当は、カフェオレではなくカフェラテがある。違いはよく知らない。