2022年3月7—8日

3月7日

今日もまた引き継ぎのためアルバイト先へ出社。11時始業なので実家から通っても電車は座れる。座れるが遠い。

アルバイトを終えて、神保町で友人と待ち合わせ。喫茶店でしばらく近況や商売について話した後、店を出てHHCを試させてもらう。HHCというのは大麻が含む化学物質(カンナビノイド)の一種で、CBDをずっと強くしたような感じで、まだ規制されていなかった。だがまさに今日、官報でHHCの規制が発表され、17日以降は違法となるという。所持している場合はそれまでに廃棄せねばならない。

とりあえず今は、使用も所持も問題ない。VAPEのようなデバイスでリキッドを吸う形だった。最初うまく吸えなかったのだが、深く吸うとくらっとする。そのまま街を歩く。

まず気づいたのは音の聞こえ方が違うことで、車の音がやけに遠くに聞こえる。全体的にボリュームが抑えられ、その分音の解像度が上がるような感じ。そのあと、街灯や看板などの光がきらきらし始める。レンズフレアのような感じ。瞳孔が開いているのだろうか。いずれも、大した効果ではない。

友人は「考えがどんどん湧き出てくる」と言っていたが、僕は対照的に頭の中が静かになる。何も思い浮かばないし、何も感じない。ただぼんやりとする。うまくキマらなかったのか、それともうまくキマった結果がこれなのか。世界と自分のあいだに一枚フィルターがあるような感覚。帰路、新宿で間違えてすごく遠回りのルートで乗り換えてしまったが、普段だったらちょっといらつくと思うのに、精神が穏やかだった。ダウナーなのでそんなものか。

個人的には、規制するほどの代物でもない、という感じで、精神科で合法的に処方されている薬のほうが(ODせずとも)ずっと影響が大きいと思う。コンサータとか……。ゾルピデムで幻覚を見たこともあるし。あるいはアルコールの方がよほど身を滅ぼすんじゃないの、と思う。アルコールってリスクも効果もそれなりにある薬物だと思うんだけど、みんな好んで摂取していてなぜこれが合法なんだと思わされる。僕はアルコールで良い気分になることができないのであまり好きではない。

こういう日記を書くと、薬物に関心があると思われ余計な詮索をされかねないのが面倒だが、ニコチンもカフェインも習慣的に摂取しているわけで、だから興味がないわけではないが、法的なリスクを背負ってまでやろうとは思えない。精神科の処方薬すら用法用量を守って堅実に服用している。どうせ元から頭がおかしくて、そのために精神科に行くはめになり、治療を受けて社会に適応しようと試みているのに、これ以上おかしくなっても仕方ない。

3月8日

天気が悪く、寒い。三寒四温とはこのことか。天気が悪くて寒い三月なんてろくな一日になりそうにないな、と起き抜けに思う。

昨日不動産屋から保証会社の審査通過の報せとともに、精算書が送られてきたのだが、SUUMOで不要と書いてあったにもかかわらず、仲介手数料が1.1カ月分乗っていた。精算書を見た瞬間から気づいていて、非常にだるい気持ちになった。

大方、客が気づかなければラッキーくらいの気持ちで乗っけているのだろう。国交省ガイドラインでは貸主負担となっている鍵交換費も、相場より高いであろう火災保険もうるさいことは言わない。自腹を切るわけでもないのだし、物件自体は好条件だし、その不動産屋が管理会社のようなので今後のことも考えて。ただ、不要と書いてあったものを請求してくるのはどうかと思うし、そうした態度に疲弊させられる。

あるいは担当者が非常に間の抜けた人物で、たとえば前に使ったExcelファイルをコピー・ペーストして、仲介手数料が乗ったままになってしまったのかもしれないが、どの道そんな会社まったく信用できない。その場でSUUMOの物件ページをスクリーンショットして、さらに魚拓を取っておく。Web魚拓だとmetaタグの設定で拒否されているため魚拓が取れないようだが、別のサービスから魚拓が取れた。

昨日帰ってから、内見のときにもらったマイソク1を見たら、報酬欄に仲介手数料借主100%(負担)と記されていた。ただ仲介手数料の金額は記載されていない。不要なら100%だろうと不要だろうと思うけれども、よくわからない。ただ面倒だ。


起きてしばらくしてから、とりあえず東京都の賃貸ホットラインに電話する。老人と思しき声。仲介手数料が無料と不動産情報サイトに書いてあったのに請求されていること、マイソクには借主100%と記載されていることを伝える。そうすると、「つまり広告の問題ですね。そういうのは今から言うところに電話してください」と言われる。広告の問題というのは、SUUMOの情報と実際が行き違っていることを指すのだろう。

そこで案内された番号は、首都圏不動産公正取引協議会という団体のもの。かけてみてまた同じことを伝える。「マイソクの借主100%という記載を見逃した私が悪いんでしょうか?」と尋ねると「いやあなたが悪いということはないと思いますが……」と言われとりあえず安心。

「結局どういうことをお望みなのかによります。仲介手数料を取り下げてほしいのか、あるいは広告の表示を修正してほしいのか」と担当者は言う。広告の表示がいまさら「仲介手数料:1.1カ月」になったところで「じゃあ問題ないです」となるわけがないので、「取り下げてほしいですね」と答えると「その場合は私どもにできることはないですね。すみません」と言われる。いま調べると、公正取引なんたらというのは「不動産広告の内容が正しいかどうかを審査・調査している不動産業界の自主規制団体」らしい。

「そうですか。では不動産屋に直接それを伝えるべきということですね」と言うと「そうですね。それが良いかと思われます」とのこと。とりあえずマイソクとSUUMOの情報が食い違っていることに気づかなくても責任はない、ということ以外何らの助けも得られなかった。しょうがないので不動産屋に直接電話する。

物件の担当者は非常に押しの強い女性なのだが、別の人が出た。物件名を伝えてその女性に電話を代わられると厭なので、名乗りもせずに「SUUMOで不要と書いてあったのに精算書で仲介手数料が1.1カ月乗っているんですが」と伝える。「そうですか。物件名を教えていただいてもいいですか」と言うので伝えると、担当が席を外しているので戻り次第電話させるという。

しばらくして電話がかかってきて、第一声で「すみませんあたし間違えて乗っけちゃって手数料引いたものをすぐ送りますんで」とまくしたてられる。舐めてるのかと思いつつ「そうですか、よろしくお願いします」と返した。話がこじれなくてよかったが、阿漕な商売だな。次物件を探すときはまずきちんとした不動産屋を探すことから始めようと決意するに十分だった。

そして都の賃貸ホットラインが、今回の場合はまったく役に立たなかった。すでに請求されている状態でいまさら広告を修正して気が済むわけがないので、広告表示がおかしいことを咎めたいわけではないから、公正取引協議会なるものを紹介されても困る。僕がはっきりとした意向を伝えなかったのが悪いのかもしれないが……。同様の人が十人いたとして九人は仲介手数料を取り下げてほしいだろう。


  1. 物件の情報が記された紙

2022年2月27日—3月6日

しばらく日記を放置していた。書くことがなかったのではなく、書くことがたくさんあったので書けなかった。覚えている限りで前回日記をつけた2月26日以降のことを書く。

2月27日 日曜日

三月一日から公認会計士として勤める大学の友人と会う。ちょうど大学でそれに関連する何かしらの試験(司法修習のようなものが会計士にもあるらしい)を受けるというので高田馬場で待ち合わせる。ロマンへ行こうという話だったがまだ臨時休業していた。前回来たときも休んでいて、そのとき26日まで休業ということだったが紙が上から貼られて「27日まで」に直されていた。

そのあと鶯谷のサウナに行こうとしていたので上野まで山手に乗ってギャランへ。男二人でクリームソーダを頼む。結局サウナには気力がなくて行かなかった。上野のくだらぬ居酒屋でもつ鍋を頼んだら大変量が多くて難儀した。

2月28日 月曜日

一日家でアルバイトをしていた。夜、この国がいかに弱い立場に置かれた人に対してきつく当たるかということ、そしてそれをどうにかする手段がほとんどないことを思い知らされるような話を聞く。

3月1日 火曜日

四月から働き始めるが、リモートワークが中心らしいし、会社までまあ一時間くらいの場所に実家があるし、当面家を出なくてもよいと考えていたが、いつも通り物件情報サイトを閲覧していたら、場所の割に安い物件があったので内見へ。日記を少しだけ書いていたので以下に引いておく。

生活力に乏しいので内見しても何の想像もできない。適当に水回りを見たりコンセントの数を数えたりしても、なるほどといった感じで何らの感想も浮かばない。ただ周辺の街並みだけを大事にしている。以前の住人はここに三十数年住んでいたとかで、そのため内装をすべて取り替えたという。そのため建物はぼろだが中はまあまあ。

不動産屋がもうひとつ物件の案を寄越してきた。そちらにも足を運ぶ。道中、女性が押していた電動アシスト自転車を重いと言って、(その人の属していない)不動産屋の前に駐輪した。「このあたりの不動産屋はみんな親戚みたいなもんだから大丈夫」とのこと。二軒目は会社から近く、相場くらいの家賃だがそのため一軒目と比べれば上等。ただし部屋は広くない。

このような感じだった。新宿から三十分くらいの場所だったので駅まで歩く。ウクライナで戦争が始まって以来読み返していた山田風太郎『戦中派不戦日記』を読み終わったらしい。

3月2日 水曜日

家でアルバイトをした後、翌日の出社に備えて根津のO宅へ向かう。鶯谷で待ち合わせラーメンを食い萩の湯へ。萩の湯からSも合流してきた。Sも一人暮らしを画策しているが、大変好条件の物件をすんでのところで別の人に押さえられてしまったらしい。内見した二日後に申込書を出したのだが、内見当日の夜にもう誰かが申し込んでしまった由。O宅に戻ってから、現在企画している同人誌の話など。

3月3日 木曜日

神保町にあるアルバイト先へ出勤。最後に出社したのは昨年六月なので八ヶ月以上経っている。就職に伴いバイトを三月末で退職するが、後輩にその後釜となってもらう。彼女の初出勤に合わせ引き継ぎを行うため、出社。上司と久しぶりに顔を合わせる。

前回の出社から今までにオフィスの改装工事がしばらく行われていて、それが終わってから初めて行った。フリーアドレスとなりやや居場所がない感覚。いくつかのグループ企業で同じオフィスを使っているのだが、フリーアドレスといってもなんとなく寄り集まっているようで、自分の会社の人が多いあたりで仕事をする。

神保町は美味しい店がたくさんあることを知っているが、たぶん五、六回出社したと思うが常に丸亀製麺でお昼を食べている。休憩は一時間好きに取れるが選ぶのが面倒なため。

帰宅してから、親と話して一人暮らしと初期費用の工面について了承してもらう。Sがすんでのところで申し込まれた話を聞いて、腹が決まったので。初期費用は、正確には父方の祖父が払う。初期費用くらい自分で払えという話だが、本当に貯金ができないので口座残高が六桁を超えていることはめったにない。学生のときでもわりと数十万程度の貯蓄がある人はいて、そして自分もまったく稼いでいなかったわけでもなかったので、俺はなんなのだろうと思っていた。

初期費用の件など、ブルジョワの息子だなという感じがするが、ブルジョワなのは自分のせいではないのでそこに申し訳ないという気持ちは抱かないようにしつつ、罪悪感のようなものはある。ただ、養子に入る以前はわりと貧しい暮らしをしていたので、これもある意味富の再分配かもしれないと屁理屈をつけたりしている。

親は案外一人暮らしに反対しなかった。母はまあ認めてくれるだろうと考えていたが、父もわりとすんなりだった。俺の生活力のなさを一番よく知っている人たちだが、一方で家を出たがっていることも承知していたのだろう。思えば大学受験のとき京都の大学を目指すかどうかで揉めたことがある。しかしさすがに私大の学費と下宿代は負担してもらえそうになかったので、国立大学へ行くしかなかったが、京都の国立大学のうち自分にとって魅力的なところに入れるような学力は到底なく、出願しなかった。それで東京の私大へ行き、結局それももうやめてしまうのだが。どら息子にも程があるが、まあ自分で口に糊することができるようになれば良いのではないだろうか、とひとりで納得している。できるか知らないが。

3月4日 金曜日

家でアルバイト。昼休み、申し込みに必要な書類を不動産屋に送付する。内定通知書はPDFで送られてきたので印鑑など押されていないが、問題ないらしい。こんなのいくらでも適当に作れるではないか。でもよく考えれば水商売の人は在籍会社を使っていたりするのだし、家を貸すというのに案外適当な世の中である。しかし世の中がこの程度の粒度で動いていることで、随分多くの人が助かっていると思う。きっと昔はもっとおおらかだっただろう。保証会社と大家が首を縦に振れば家を出ることとなる。

そののち、Yがドミニオンボードゲーム)をやろうという誘いをLINEでしてきたのでまたO宅へ向かう。五人集まる。よく覚えていないがゲームをやったりして過ごす。O宅は学生の一人暮らしのわりには広いが五人で寝るとさすがに狭い。夜中まで話し込む。美容院の話が一番面白かったかな。美容師に「今日はどうされますか?」と聞かれると、「ちょっと伸びてきたので ……」とか言ってしまいがちだが(普通はそうでないのかもしれない)、それってファミレスで注文をとってもらうときに「ちょっとお腹が空いてるので……」と言っているようなものじゃないかという話をした。

『不戦日記』に続いて読み返していた『戦中派焼け跡日記』を読み終わる。

3月5日 土曜日

起きてから、神保町食肉センター上野店へ。ランチは990円で焼肉(といっても決まり切った肉だが)が食べ放題ゆえ。ほかの人たちは以前にも行ったことがあるらしいが俺は初めてゆく。美味しかったが脂っこい。夕方、高校のクラス会が小規模ながら予定されていたが、最近くしゃみが止まらなくて、その状態で地元まで戻るのが面倒でキャンセルさせてもらう。

O宅に戻ったあと、Nが追いコンがあるとか言いながら去ってゆき、夕方になってからSが物件を探してよい物件を見つける。即座に連絡してYとともにそのまま内見へ向かう運びとなる。内見の後、待ち合わせて銭湯へ行こうということになる。

Oと俺は神保町で時間を潰すことにする。Oが行きたいと言うので東京堂へ。それぞれに時間を潰せない人とは一緒に書店に行きたくない。書店でついてこられたりすると迷惑である。そんな人は友人にほぼいないし、そういう人とはそもそも書店に入らないのだが。入口付近に秀和レジデンスの本が置いてあり、好きなのでつい立ち読みしてしまう。実際に秀和レジデンスに住んでいる人の暮らしぶりを数人分紹介しているのだが、この職業でどうやって家賃 or ローンを賄っているんだ、そんなに儲かっているのか、と失礼ながら思ってしまう人が何人かいた。羨ましい。いつか秀和レジデンスに住みたい。幡ヶ谷以外も管理組合はうるさそうだが……。

東京堂はやはり良い書店だな、と思う。アルバイト先が神保町なので出勤したときにたまに足を運んでいたのだが、久しぶりに来て改めて思った。有名だが、岩波文庫をそれなりに揃えている書店は良い書店、という話がある。ふつう書店は本を返品できるのだが、岩波は買い切りのため、揃えるためにはそれを売る覚悟が要る。またそれを買う客が来る必要がある。チェーンの大型書店ならいざ知らず、街中の中規模程度の書店で岩波を揃えているところは頑張っていると言って良いと思う。東京堂は有名書店なので岩波を揃えているなんて当たり前だが、それを超えて棚がしっかりしている。

書店を出て喫茶店へ。煙草が吸える、以前行ったことのある店。カラメルがコーティングされた洋梨のケーキが大変おいしかった。ケーキはめったに食べないのだがお腹が空いていてなんとなく頼んでしまう。名前は忘れたがシブーストに似ている。本を読むのと喋るのを交互にする。

秋葉原と神田の間にある銭湯で内見を終えたSらと合流。内見の感想を風呂で聞く。条件は良いのだが見てみると案外微妙だったという。夜九時手前に秋葉原で飯の食える場所を探すが、蔓延防止措置のため見当たらず、タクシーを拾い根津でもっとも猥雑と思しき居酒屋へ向かう。こういう居酒屋は好きだな。またO宅へ戻る。

行った奴にクラス会がどうだったか聞くと、時節柄もあって結局五人くらいしか来なかったらしいがわりと無難におさまった様子。クラスメートに山梨かどこかの大学の工学部に進んでバイクにはまり、峠を攻めていた女の人がいるが、その人が来て、四月から就職して浜松でバイクの設計をすることになったと言っていたらしく、大変かっこよいのとそのやりたいこととできることが一致している感じを非常に羨ましく思う。

3月6日 日曜日

Oが映画が見たいというので、四人でいろいろ候補を挙げるが結局、ゴダール『男性・女性』に落ち着く。いま知ったがゴダールってまだ生きてるのか……。ゴダールの映画をちゃんと見たのはこれが初めて。OやSは映画が好きなのでよく見ているが俺は映画特有の冗長さに耐えられないことが多いので、あまり見ない。

まず、よほど面白くない限り映像の前でじっとしていることが困難なので、それをさせてくれる場所としての映画館に行かないといけないが、その辺の映画館でかかっているものはくだらないものが多いし、それに千数百円払うのであれば文庫本を買って喫茶店に行った方が幸せになれると思ってしまうので、めったに映画館へも行かない。

『男性・女性』はというと、面白かったけど自分から見ることはないだろうなという感じ。少ない経験から言えばフランス映画はおおむねそんな感じだ。本は自分で読まない限り話にならない——少なくとも現代では——けど、映画は複数人で見られるので、自分から見ようとしなくても見るチャンスがあるのが良いところだとは思う。

映画を見た後揃って外に出て、上野のファーストキッチンで昼飯。そのままたんぽぽハウスへ。たんぽぽハウスは異常に安い古着屋。高田馬場にしかないと思っていたが上野(正確には御徒町)にもあるらしい。ジャケットが欲しかったがサイズがなく、シャツを一着買う。昨日は暖かかったのに今日は風が吹き荒れていて、くしゃみがいよいよ止まらない。花粉症であることをできるだけ認めないようにしているが、たぶん花粉症なのだろう。もともとアレルギー性鼻炎でもあり、本当に耐えがたい。

寒さにやられて気力を失い、たんぽぽハウスを出た後解散する。マツキヨで鼻炎の薬を買う。市販薬ってなんでこんなに高いんだろう、といつも思わされる。花粉症とかの薬は特に高い。六日分の薬に二千円くらい払う。保険が効いていないからだろうか。「就寝前一錠」と書いてあったが無視して即座に一錠飲む。

ここ数日ちょっと金を使いすぎたな、と思いながら、大江戸線で新宿に戻って喫茶店に入ってしまう。ひたすらウエルベックある島の可能性』を読む。ここ一ヶ月ほど小説ではウエルベックばかり読んでいるのでやや食傷気味の感がある。そうしている理由は以前の日記で触れた。これを読み終わったら、邦訳が出ている小説は『ランサローテ島』『地図と領土』『セロトニン』だけ未読になる。相変わらずここは接客が良すぎる。それから家へ戻り、これを書いている。明日また出社なのであと一時間くらいで床に入らねばならない。鼻炎は和らいだ。

2022年2月26日 土曜日

朝早く起きた。昼渋谷へ向かう。在日ウクライナ大使館が宣伝していたデモに参加するため。良い天気で暖かかった。電車に、高校のとき付き合っていた人と同じ柔軟剤を使っている人がいた。たぶん柔軟剤だと思うんだけど、それが何の匂いなのかは正確にはわからない。数年に一度、その匂いを感じる機会があり、そのたびにこれ何の匂いなんだろうなと思う。


デモは13時からという話でギリギリに着いた。ハチ公前広場にウクライナ国旗やプラカードを掲げた人たちが大勢いる。音響機器の到着が遅れるとかで最初の十五分くらい、主催者のアナウンスがよく聞こえないような状態でみんな棒立ちしていた。誰かが何かを知らせているが街頭ビジョンの音量に負けてよく聞こえないという状態。ハチ公前って本当にうるさいんだなと思った。普段、そこに留まることはないので、気づかなかった。

機器が来て、ウクライナの国歌が流れ、それからシュプレヒコール。「ウクライナに平和を」、「Stop Aggressor」、「戦争止めろ」、「Stop Killing Ukrainian People」などと日本語と英語で繰り返される。たまにウクライナ語と思しきコールも。周りを見渡すと、こうしたデモにしては珍しく、反戦プーチン批判以外の政治的主張を掲げている人が少ない。たとえば九条守れとかね。プラカードの感じなどからデモに手慣れてそうな人は一割くらいと思われた。

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しばらくして、仕切り役から「かなり人が多くなってきているので難しいとは思いますが間隔を空けてください。またウクライナ国旗を持っている人は前の方に、そうでない人は後ろの方に」とのアナウンスがあった。「ハチ公前広場を、ウクライナ国旗で埋め尽くす感じで」と。おそらく日本人の担当者の、その言い方が妙に軽かった。

それで特に何も持っていないので後ろの方に移動すると、2畳分くらいある巨大なウクライナ国旗を何人かが持っていた。日本人(と思しき人たち)もウクライナ人(と思しき人たち)もいる。国旗の下ではなぜか子供が歩き回っていた。へえと思って近づき、写真を撮ったりしていると、ある角を持っていた女性が誰かに話しかけられて手を離し、国旗がたなびいた。思わずそれをつかむ。周囲の白人にメディアが片っ端から取材している。

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そのまま14時にデモがお開きになるまで国旗をつかみ、一定のリズムで揺らしていた。取材を見ていてわかったのだが国旗の持ち主はリトアニア人らしい。なぜこんな巨大なウクライナ国旗を持っているのかわからないが……。流暢な日本語で記者に何か話していた。国旗の下で遊んでいたのは彼の子供のようだ。

国旗の近くにいたある女性が、ビデオ通話をしながら泣いていた。おそらく母親と思われる人と何か喋っている。ウクライナ人で、現地に家族がいるのだろうか、などと考えると胸が詰まりそうになった。他にも何人か涙ぐんでいる人を見かけた。自分は外国にいて、母国は蹂躙されつつある、という状況では無理もない。

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デモは本当は15時までの予定だったが、人が集まりすぎて迷惑になっているというので早めに終わった。主催者発表によると2,000人らしいが、それくらいはまあいたのかな。広場はほとんど人で埋め尽くされていて、JRの改札を出てもスクランブル交差点までなかなか通り抜けられないのではないかという感じだった。


デモに参加して、ウクライナの国旗まで持っていてなんなんだけど、ウクライナという国家に自分は連帯しない。ウクライナ国民に対して自分は連帯しない。正確には、しないように試みている。国家や国民という概念がどれほど多くの犠牲を生み出しているか知れない。

領土を守るために玉砕なんて美しくない。国を守るために武器を取るなんて美しくない。それを美しいと感じてしまうのをどうにかしなければいけない。国を守るのではなく本当に意味するところは大切な人を守るためかもしれないけれど、それであっても悲劇的な犠牲ということに変わりない。

連帯すべきはすべてのイデオロギーによって傷ついている人だと思っている。それはウクライナ人だけじゃない。反戦の思いを持つロシア人かもしれない。連帯という言葉も実のところあんまり好きじゃないんだけど。あまり考えを整理できていないがそのように思っている。


デモの写真を撮っていたらフィルムを撮りきったので現像しようと下北沢へ。渋谷にはキタムラしかなくてキタムラあんまり好きじゃないので。下北のパレットプラザに出して、塩ラーメンを食べて、煙草でも吸うかとトロワ・シャンブルに向かったら五、六人並んでいてびっくりした。

もうひとつ別のカフェに向かったらそこは16時から貸し切りとのこと。そのときすでに15時過ぎだったのでやめる。下北はもう一軒、煙草の吸える喫茶店を知っているので結局そこへ。カウンターしか空いてなくて、常連同士が仲良く喋っていて、うわーと思いながら立ちすくんでいたら一人が手招きして席を差し出してくれたのでそこへ座る。

常連二人の間に割り込んで座る形になり、先ほどまでのおしゃべりはどこへやら、僕が座った瞬間手招きした方の常連は新聞を広げ始めた。気まずいなと思いながら過ごしていたがカフェオレグラッセが到着した頃に新聞が帰り支度を始めたので、それはそれで気まずかったが安心した。

ミシェル・ウエルベック『プラットフォーム』を読みながらマスターと残された方の常連の会話を聞く。

「マスターもういくつ? 六十三、四?」
「今年六十五。になった」
「いやーそうか。しんどくない?」
「しんどいってことはないけど——、ああ、退職金のね積み立てを」
「積み立て?」
「うんなんか中小企業共済のそういうのがあって。去年くらいに三、四百万入れたかな」
「へえー」
「うんあの、損金として算入できるんだよね年間それくらいの額だとね」

下北沢の、そんなに大きいわけでもない喫茶店のマスターでも案外お金をちゃんと持っているものだし、しっかりしているものだ、などと失礼なことを思いながら耳を傾けていた。飲み終わり、現像の待ち時間も過ぎたので出る。

現像を回収して電車で帰宅。帰ってから思いのほか疲れていたのか何時間か寝てしまった。

2022年2月24日 木曜日 焼肉と戦争

アルバイトをしてから、渋谷へ。俺が少しだけ潜っていたゼミの友人(Y)と、彼が働いているバーの常連さんでWeb制作会社を営んでいるSさん、そしてYのゼミでYと俺の共通の知人であるH君という面々。Sさんが会員権を持っている会員制の焼肉屋へ行く。

SさんとYは系列の店に何度か行ったことがあるらしいが、渋谷のは初めてらしく、最初店がどこにあるのか全然わからなかった。ドアにちっさく焼肉と書いてあった。

肉は美味しかった。焼肉久しぶりだなあと思いつつ、ウクライナの戦争のことを考える。片やミサイル、片や和牛ユッケ。どうかしている。でも異国の戦争を考えなくても、つねにその格差はある。ここまで極端なものでなくても。自分が普段見て見ぬふりをしていることが、ただ象徴的に意識されやすい形で現前しただけだ。

俺とYは一緒にWebの受託制作をしていた。H君も俺と同い年だが映像編集や撮影で食べている。Sさんはもちろんそれで食べているので、酒が入ってくるとフリーランス稼業の話で盛り上がる。Sさんは「フリーランス稼業には人間力が必要だ」と言っていた。人間力というのは、焼肉をさっさと焼いて人に振り分けるような力らしい。俺もYもそういうのが本当に不得意で、俺は気が遣えないし、Yは気遣えるけど行動がそれに追いつかない。道理で、という感じがする。

H君に映像編集の単価を聞くと、業界の相場では「10分くらいの映像で、凝った編集がなければ五、六千円」という。俺とSさんが同時に「えっ」と声を出してしまう。安すぎるのでは? 時給換算では、彼の場合だいたい千六~七百円とのこと。

もちろん、二極化が激しいというか、お金を持っているクライアントはそれなりの額を出すし、そうでないところはそうでない。そして最近映像編集の需要は高まっているが、同時にそのスキルを(簡単にでも)身につけた参入者も増えているので、相場が下落してしまっている様子。「フリーランスならば、どんなペーペーでも時給換算で三千円か四千円の単価を得る必要がある」とSさんは言う。税金や社会保険料の支払い、そして雇用保障が無いことを考えるとそれは高額ではない。

店を出て、まだもう少し飲もうということでタクシーで恵比寿へ。お会計は焼肉も二軒目も全部Sさん持ちなのでありがたくついていく。恵比寿にある大箱のジャズバーみたいなところへ。結構客を選ぶタイプの店らしく、うるさ型のマスターがおり、大声で喋ったり写真を撮ったりすると怒鳴られて追い出されることもあるとかいう。我々は幸い注意されることもなく、真空管から流れる音楽を楽しんだ。雰囲気が良く、うるさ型でも潰れないだけの店ではあった。十時過ぎに解散。付き合いもあり、久しぶりに酒をそれなりに飲み、頭が痛かった。酒を飲んで気持ちよくなる時間が訪れず、なんとなく躰が熱いなと思ったあと頭が痛くなり、頭痛がおさまるころには酒も抜けているという、酒を楽しめない体質。


贅沢で素敵な夜だったが、そうであればあるほど戦争のことが思い出される。

大学一年の夏だったか、気乗りしないアルバイトのため俺は朝から背広を着て大宮に向かっていた。電車は同様の通勤客でそれなりの混雑。そこに、北朝鮮からのミサイル飛来を告げるJアラートが鳴った。あの頃、北朝鮮は頻繁にミサイルの射出を繰り返していた。

客は一様にスマホを見ていて、だからそこに通知されたJアラートに気づいたはずなのに、まったく動じない。誰も何も言わない。俺は思わず周りの顔を見回したが、みなただ画面を見たりぼんやりしているだけ。もちろん、自分だってこのミサイルが本当に日本に着弾するとは思っていなかった。だけど本当に着弾しないかなんて判らないのに、みな押し黙って会社へ向かっている。狂っている、と思った。本当にミサイルが飛んでくるなら、通勤なんかやめて今すぐ反対方向の電車に乗って家へ戻り、配偶者や子供に愛の言葉でも伝えた方がいいのではないか。いや電車の運転士や車掌だって大切な人があるだろうから電車を止めてもらって構わない。それで皆、恋人や友人や家族に電話でもして人間に戻ったらどうだ、と思いながら、俺も何もしなかった。そのまま大宮に向かってアルバイトをした。たぶん本当にミサイルが飛んでくるときもこうなのだろうな、と感じた。

どれほどの量の酸素に包まれて眠るふたりか 無垢な日本で1 (小佐野彈)

それが現実の光景となっている場所がある。戦争反対、と思う。戦争反対(医療崩壊に瀕しているなか強行されたオリンピックすら中止にできなかったのに?)、戦争反対(自国の公的機関が外国人に対して暴力を行使していることすら止めさせられないのに?)、戦争反対(ツイートやストーリーでお気軽に述べるだけで、街や電車で声に出して叫ぶこともできないのに?)。そんな声は空しい。そんな声は。

翌朝、酒のせいか寝付きが浅く早く目覚めてしまったので、電車で朝早くからやっている喫茶店に行った。そしてこれを途中まで書いた。帰り道、幹線道路に面した喫煙所で煙草を吸った。よく晴れた爽やかな朝。車が行き交い看板や建物が軒を連ねる。文明だな、と思う。発展した文明だ。それがまだ機能していることが不思議だ。なんとなくそれらがすべて焼け落ちた姿が幻視され、オーバーラップして見えた。

繁栄のこの夜を熱き涙もて思い出す日の来たるかならず (林和清)


  1. ここで小佐野が「無垢」ということばで意味しているのは、実際には性の多様性についての理解が浅い社会のことだろう。ただほかの面でも日本が「無垢」である点はあるように思われる。

東京郊外の夜を歩く

生活リズムがイカれていて、ひたすらコンテンツを消費するか夜な夜な散歩することしかできない。日記でもあり、日記でもない。夜の散歩の記録を載せる。


家から数十分歩くと中央道の国立府中インターチェンジにたどり着く。都市部ならいざ知らず、郊外のインターチェンジというのは、空虚な場所になる。何もないから高速道路を引けて、そしてインターチェンジを配置する土地の余裕があるのだから。

そして高速道路の出入口が近くにあることが利益となる、たとえば物流倉庫や自動車店、建材屋、そしてラブホテルが立ち並ぶ。国立府中インターの場合は青果市場もある。そして吉野家、24時間営業の中華料理屋、コンビニのような腹を満たし簡単な休息をとるための施設。そのようなエリアを閑静な住宅街にするのは難しいので生産緑地地区と示された田畑が広がる。交通量が多いので道は広いし車通りも多くなりがちだが、人通りは少ない。これは、東京郊外のある側面の象徴だ。俺はこういった場所を夜中に練り歩くのが好きだ。

ラブホテルと田畑、今は使われていない物流倉庫、そしてインターチェンジ。建物はある。立派な道路もある。しかし何もない。ここには文化的なものなど何もない。ただ経済や政治の道理で必要だったから生み出されたものだけだ。思い出したように整備された公園があるがこの時間に使うものはない。昼間はここで子供たちが遊んでいるのだろうか?

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ああ、これが俺が二十年住んだ東京郊外なんだな。これでも東京都内なんて笑わせる。東京に住んでてもこんな東京を知らない奴もいるんだろうな。俺らは都心がなんたるかを知ってる。でも郊外のほとんどは誰にも見向きされない。東京郊外だって、少しは文化的なものもあるさ。良いお店なんて山ほどある。でもここは吉祥寺や立川のように栄えてもいない。国分寺や国立のように街の魅力があるわけじゃない。そして住宅すら立ち並ばないこの場所には虚しさしかない。だだっ広い土地、合理的な建築、それ以上がない。ただ何もないという以上に、そこだけがやけに眩しいラブホテルや、四角四面の物流倉庫には、何もない。生産緑地地区なんて、今はまだ開発の対象としないという目印でしかない。とりあえず田畑になっているだけだ。でもこれが郊外ということなんだ。

人気のない、無骨な中央道の高架下。ここで俺は煙草を吸う。ハイライト。技術者のメモ。無学な俺には全然理解できない。でもこいつらがこの高架を支えてくれているわけだ。ありがたい話。

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思えば大学入ってからの五年間、いやもっと前から、好き勝手深夜に散歩していた。それは最高に自由な時間だった。俺は一人だった。俺が何をしようと咎める者はない。俺は音楽を聴いた。俺は目的もなく歩いた。俺は缶コーヒーを買って煙草を吸った。吸い殻はちゃんと携帯灰皿に入れて持ち帰った。夏は心地良く、冬は寒さに身を震わせながら、とにかく歩いた。

ここにはなにもない。その何もなさが俺の心を安らかにする。ここには人がいない。ここには人の生活がない。生活に伴う有象無象の苦しみがない。誰もいなければ俺が吸う煙草の煙が非難されることもない。ここには俺と、そして機能しかない。機能に応じた土地利用、機能に応じた構造物しかない。そこに人間の顔は見えない。

誰もいないことより誰かいることの方のが怖い深夜の散歩

これは高校のときの短歌で荒削りだけど、この実感はまだ変わらない。誰もいないことは怖くない。誰か他人がいることが怖い。東京でも郊外なら、他人と接触することなく、でもいざとなればすぐに接触できる程度、つながれる程度で、距離感を保てる。

もちろんここで働いている人はいるだろう。でもそれはでかい箱の中で目に見えない。ラブホテルなんて入っても見えない。従業員が目につかないためにどれだけの工夫が凝らされていることか。だからここには人間がいない。目につかない。

これって本当に落ち着くな。都心じゃこんなに独りになれない気がする。東京の港湾部ならなれるけど俺の感覚ではあそこも郊外だ。田舎はあまりにも独りすぎる。ここは空虚な土地だけど、だから心地良い土地でもある。

学生ももう終わりだ。こんなに深夜に何も考えずに散歩できるだろうか? 時間の問題だけじゃない。場合によっては都心へ転居するかもしれない。少なくともここまでの郊外からは離れるかもしれない。そう考えると夜中に散歩するだけのことが限りなく贅沢に感じられる。俺はここから徒歩数十分の家を離れても、こういった場所を他所にでも見つけ出して、そこまで電車まで乗って散歩してしまうかもしれない。独りでいたいとつながっていたいと誰かといたいの狭間で。

2022年2月21日 月曜日 「またお会いしましょう」

さきほどまで中島義道『私の嫌いな10の言葉』を読んでいた。先日読んだ『働くことがイヤな人のための本』と同様、これもずっと以前に読んで以来久しぶりに読み返した。彼の文章は歳を重ねると面白さが増しますね。それを読みながら思ったことを書く。


私は他人の考えていることがあまりよく判らない。たとえば私は他人の目を見て話すことができないので、「口ほどに物を言う」と云われる目から得られたはずの情報をほとんど得られないし、また目を見たところでそこから何事かを察知する訓練を経ていないので、ほとんど何も読みとることができない。目に限らず、声色や表情といったボディランゲージ全般から何かを察するということが不得手である。

かといって書き言葉・話し言葉であれば判るのかというとそうでもない。言葉を常に文字通りに受け取ってもそれが正しいとは限らないからで、私自身だって皮肉のひとつやふたつ言うのだし、噓もつくのだし、冗談も言うのだから当たり前のことだが、他人からそれをやられてもそうと気づかないこともある。私はアスペルガー症候群の診断を受けているが、さもありなんというところである。

こういった能力は歳を重ねるにつれてましになっては来ている。経験を積むにつれて大方相手が何を考えているか判るようになってくる——と思っているが、そもそもアスペルガー症候群でない「健常者」であっても、本当に他人の気持ちが判っているのだろうか。

たとえば高級なレストランで、ウエイターから何か不快な対応を取られたとする。私がそれに文句をつけると責任者がテーブルにやってきて丁寧で真摯な謝罪をする。そのとき、彼/彼女は内心くだらないことと思いながら職務上仕方なく謝罪しているのか、あるいは本当に、心の底から顧客を不快にさせたことを申し訳ないと思って謝罪しているのだろうか。高級なだけあって責任者の謝罪は一級品である。私にはその区別がつかないし、どちらでもいいのだが、それは一般的にも区別できないものではないだろうか。

私は言葉を文字通りに受け取ることしかできなかったから、いまでもなお、根源的には発された言葉、書かれた言葉をそれが示す最も端的な意味で信用している。つまり、すみませんと言われたらすまないと思っているのだなと理解するし、またお会いしましょうと言われたらまた会いたいんだなと理解する。

いまではもちろん、すみませんと言っていてもどうでもいいと思っていることもあると知っているし、またお会いしましょうと言っていても全然会いたくないと思っていることもあると知っているし、また私も今では謝りたくもないのにとりあえず謝ってみたり、顔も見たくないが社交辞令としてまたお会いしましょうと言うこともあるのだが、そういうのって馬鹿みたいだなという気持ちがどうしても拭えない。

誰でも、そうした言葉の意図を読み違えることがあるのではないだろうか。そしてそれで後々恥ずかしい思いをしたり傷ついたりしているのかもしれない。場合によっては誰かのことを誤解したままで人生を終えるのかもしれない。そういうのって残念だし、また誰もが迂遠なやり方をしてそれによって誰もが不幸になっているなんて滑稽にも程がある。だったらどうでもいいときには「どうでもいいと考えております」とか、会いたくないときは「あなたには会いたくありません」と言った方が簡潔ではないだろうか。それが相手の名誉や、それこそ気持ちを傷つけるのかもしれないが、それらがいくら傷つこうが会いたくないものは会いたくないのだし、また往々にして「またお会いしましょう」と言った相手が本当は自分に会いたくないのだと別の場面で察してしまうのであって、そこで相手を傷つけるくらいならば最初に傷つけたほうがいいのではないだろうか。

いや本当は、相手を傷つけないためなどというのは二の次で、私がとりあえず社交辞令を述べるときは、相手のことを傷つけたくないという以上に、ストレートにものを言って自分が相手を傷つけているという罪の意識を持ちたくないこと、そしてそれが周囲に明らかになることによって人の気持ちが判らない冷血な人間であるという烙印を押されたくないこと、といった保身が第一なのだが、そういった保身をしてしまうようになった自分を大変情けなく思う。

子どもの頃は、間違っていると思えば教師であっても「それは間違っていると思います」と悪気なく——いや、自分のほうが正しいのでそれを知らしめてやろうという悪辣な感情を伴いつつ——言っていたものだが、仮にそういった悪辣な感情を伴っていたとしても、間違っていると思ったときに間違っていると言える方が美徳であると思う。いまでは自分より目上の人があからさまに間違ったことを言っていてもとりあえず受け流しつつ「あいつは何も判っていない」などと他の人と陰口を叩くのだから、それに比べたらどんなに立派な態度だろうか。そしてそのような態度を取ることを「大人になる」と形容するのであれば大人になどならないほうがいいと誰でも一度は感じたことがあるはずだ。

話がいささかこんがらがっているが、心にもないことを言うとか、あるいは言外の意味やボディランゲージによって何かを察せよという、ある意味洗練された文化を馬鹿らしいと思っているのは、誰でもそれを読み誤ってしまい、不幸な思いをすることがあるからであり、またそれがなされるのが第一には保身のためであって、本当には相手のことなど何も考えていないから、という二つの理由に帰着する。そしてそのやり方をいくらか身につけてしまったことが本当に情けない。

もし相手のためになることを本当に考えるのであれば、たとえば相手が間違っていると思うときには受け流して陰口を叩くのではなくて、それは間違っていると思いますとか、そこまでストレートに言わないまでも「ちょっとおかしいんじゃないでしょうか?」くらい訊いてもいいと思うし、またそうすべきだろう。それで相手の言うところを聞いて、もし相手ではなく自分が間違っていたならば失礼しましたと言えば良いのだし、それでもやはり相手が間違っていたのであれば、向こうがそれに気づければ今後相手は間違えなくて済むのかもしれない。他の場合でも、たとえば「またお会いしましょう」という言葉を「馬鹿正直」に受け取った相手が私と会って時間や労力を無駄にしなくても済む。私も会わなくて済む。そういう風に生きられたらどんなに美しいだろうか。世の中がアスペルガー症候群だけで構成されていたら、それであっても見栄や名誉やプライドはかたくなに残り続けるだろうが、相手のそれらを尊重するという名目で持って回ったやり方をして結局尊重されないということが発生しないだけ、いまよりずっとましな社会ができあがっていたのではないかとすら思うのだが、どうだろうか。

私は以上の理由で、たとえば「またお会いしましょう」と言うときは本当にまた会いたいと思って言っていることが多く、会いたくないときはそうはっきりと口にしないまでも、肯定的なことをできるだけ言わないようにしているのだが1、それも保身2であり、また相手に察することを要求するコミュニケーションだが、心にもないことを笑顔で言うよりはいくらかましな態度であると信じてそうしているので、皆さんもそう感じたらぜひ取り入れていただけたら、私が生きやすくなるのでありがたい限りである。


  1. それはそれとして、言ったときは会いたいと思っていても、いざ会う段になると天気が悪いなどの理由で気乗りしないこともあって、厄介ではある。そういうときはストレートにそう言ってしまうことが多い。そうすれば相手に自分のことを誤解されないで済む。

  2. 本当は、「いくらかましな態度」どころか、心にもない(が、相手が言ってほしいと思っている)ことを言ってあげないだけずっと保身を図っているのかもしれない。その自覚はある。

2022年2月20日 日曜日 寝られないと思いながら書くこと

なんか調子悪いな。夜うまく寝付けないことが多い。いまも睡眠薬を服んでもなお寝付ける気がせずにこんな文章を書いている。たぶんBUDDHA BRANDのあとにTHA BLUE HERBを聞いているせいだと思うんだけど。ヒップホップ全然知らないけどもう少し聞いてもいいなと思っている。

多くの芸術表現は本来社会への違和から生まれたはずで、それがメジャーになるにつれて牙を剥かれて大人しくなるわけだけど、短歌とかヒップホップとかは全然マイナーではないけど(たとえばロックほど)社会に回収されてるわけじゃないからまだ反社会的な性向が強く残っている(適当に言っています)。え、短歌も? と思うかもしれないけど特にゼロ年代以降の歌ってそんなんばっかりですよ。俺がそんなんばっかり読んでるからかもしれないけど。もちろん昔から体制批判的な歌はある。さみだれにみだるるみどり原子力發電所は首都の中心に置け(塚本邦雄)とかね。

そんなことを考えながら最近、怒りをベースに何か書くことをしてないなーと思った。怒りをそのままぶつけるんでも読み応えあるし、それを変換して書くのでも面白くなりがちだけど、でも今はとにかくあまり怒りベースじゃ書けない。怒りがあんまりないから。なんかいろいろなことに怒る体力がなくて、そんなの社会では仕方ないよねみたいなカスみたいなリアリズムで処理してしまうことが多い。そんなことしたって意味ないのに。てか多分もう若くないんだ。だから怒れないんだよ。いや今年24なんだけど、若いよって大抵の人は言うし、24で若くないとか言ったらこの先どうすんのって感じだけど二十歳とかの自分と比べたらやっぱり若くないんだよな。あの頃は本当に元気だったんだなと思う。いつかこんなことすら書かなくなるんだろうな。それであの頃は若かったなとか思うに違いない。その程度の相対化をしてしまうくらいにはもう若くない。

でも怒らなきゃだめなときが絶対あるし怒りたいんだよ。でもそれ以前にすべてがどうでもいいみたいな無気力が来てしまったりする。諦めていないから人は怒れるのであって、何かを諦めたらもう怒れないらしい。アンガーマネジメントとか言ってるけど、そりゃ俺だって気が短いのはかっこ悪いと思うけど、でも怒るべきときに怒れないのはもっとかっこ悪いんだよな。そして怒りを表出するかどうかと怒りを覚えるかどうかはまた別の話で、前者をマネジメントしたっていいかもしれないけど後者をマネジメントしたらもうおしまいなんじゃないの? って感じする。

携帯で書いてるから、睡眠薬服んでるから、ヒップホップ聞いてるから、いつもより文体が砕けてるけどでもこれはこれでいいだろ? 普段の喋り言葉に近い方が余計なことまで書けてしまって、そしてそれが面白い気がするんだよな。喋ってるときって余計なこと言っちゃうじゃん。あれってバリアが破れてるからだと思うんだよな。酒飲んで失言するのもバリアが破れてるから。俺は酒弱いんだけどだから大して飲まなくても飲み会の雰囲気に合わせて調子に乗ってバリア破壊しちゃうので素面で失言してます。今日は整理された文章なんか書いてやらないぞと思ってても整理された文章を書けてしまう俺の論理性が怖いよ。天才でごめんなさい。

本筋がどっか行っちゃったけど本筋とかないんだよね。俺はいま淋しくて、文章を書かずにはいられないから書いているだけで。ヨガと一緒。リラクゼーションです。強いて言うなら怒りが足りねえよってことだけど知り合いに怒りを感じるのとかは精神を消耗するんで社会構造とかに怒っていたい。でも四六時中社会構造に怒ってる人見ると終わってるなと思うし何事もバランスですよね。友達と何か話しててもなんかよく結局バランスだよなみたいなことに落ち着きがちで何だその平凡な結論はっ倒すぞという自分といやでも本当に何事もバランスだよなと思っている自分がそれこそバランスをとっている。

ここでオチがついたな、書きやめようかなと思ったけど書きやめない。会話とかにオチを求める精神性は何事もない会話の素晴らしさを破壊しますよ。喫茶店とかで延々とオチのないことを喋ってるオッさんがいるでしょう、競馬がどうの仕事がどうの自民党がどうのって。あれって本当にいい。会話から何も得てやらないぞという、合目的性みたいなものから離れた精神性が素晴らしい。人と対話して成長、とかオッさんらは全然思ってない。てか何を話してるかもあんま覚えてないと思うし、それが最高。それをね、今やってるんですよ。文章で。

でもそういうものを書きたいと思ってそういうものを書くというのが本当に合目的的だよな。それによって不合理を目指しているとしてもさ。どの道喫煙とかしてるんだからそういう合目的性を捨ててしまいたい。ここまで書いて文章が俺の代わりに考えてるなと思った。ある程度長い文章を認めたことのある人なら誰でもそれ感じたことあるけど、全然想定してない方向に行くじゃないすか。俺が書こうと思ってたの怒りのくだりあたりまでだし。それもずっとぼんやりと考えてただけだし。文章ってすごい、本当にそう思います。

全部冬が悪い、てかさ、てかさって口頭で普通に言っちゃうんだけどそれが書かれたときの軽薄さがヤバくてちょっとためらいある。そういうためらいを切り捨てていく。そんでさ、冬って長いし寒いし最悪じゃないですか、寒いときに人間怒ってられないよね、寒いってすべての生命力みたいなものを奪い取ってる感じがする。いや暑さもそうだけどさ、なんか違うんだよな。暑さはあちーあちーって文句言えるけど寒いときってもうガタガタ震えながら黙りこくるしかなくないですか? 寒さってだからやっぱり俺はよくないと思うな。でもロシア人とか寒さのおかげでドストエフスキー産んだみたいなとこありますよね。常夏の島でチェーホフとか生まれないだろ。知らんけど。だから寒さもまあ必要なのかもしれんけど、日本程度の冬ではなんか単に悪いだけな気がする。冬が好きな人には申し訳ないけどさ。冬は空気が綺麗で自他の境界がはっきりする感覚は好きだけどね。でもそんなのいいから夏になってくれないから。夏の俺はやっぱり元気だし、てか友達誘ったときの感じとかも考えると夏ってみんな元気な気がする。やっぱり。元気さのベースが違うというか。冬でも上限まで行けるけどさ、ベースが違うからそこまで昇らせるのが大変なんだよな。そしてほとんどの場合それができない。夏ならちょっとのことで大盛り上がりよ。サザンオールスターズってそういうことだったのか。♪砂まじりの茅ヶ崎 人も波も消えて 夏の日の思い出は ちょいと瞳の中に消えたほどに サザンは、俺と父親の音楽の趣味がほぼ唯一合致する部分です。

てか胸さわぎの腰つきってどういうことなんだろ? 胸さわぎの腰つきってフレーズを生み出した時点で勝ちみたいなとこありますよね。今何時? という質問を歌詞として書くところ、そしてそれに全然答えないところとかも天才の所業だな。俺が歌詞を書いてやろ、と意気込んだとして「今何時?」とは書かないのよ。胸さわぎの腰つき、とかは頑張って捻り出してやろうみたいな感じで入れるかもしれないけどさ。あんなに良い二語の組み合わせにはならないと思うけどね。

明日バイトなんだけどさ、寝れないのに。週に三日は企業のプレスリリースをもとにストレートニュース書くというアルバイトをしてるんだけど、それはそれで良いんだけど、あそこで書かれる言葉というのは生き延びるための言葉なんだよなあ。穂村弘の議論を援用しているけど。必要な機能を満たし、役に立つ言葉。プレスリリースから伝えるべきことを把握してそれを整理してできるだけ明解な文章にしていくわけです。可能な限り「どういうことだろう?」と読者に思わせたくない。でも考えなくてもわかる、読める文章というのは生き延びる上で必要だけど、それって最終的に「生きる」ためには何にもならないんだよな。そういう文章を書く訓練を積ませてもらっていることは本当にありがたいし、そのほかの点でも大変感謝していますが。少しの抵抗として、文章自体が明確でも、僕はあえて内容に不足を残して関連記事としてそれを補うような内容のものを挙げたり、あるいは一見関係がなさそうな関連記事で、調べるとその関係がわかる、みたいなのを入れてみたりしています。そういうのって目的に反しているのかもしれないけど。そもそも俺が本当によく整理された文章、本当に明解な文章を書けているかというとご承知の通りまだまだ全然上があるんだけどさ。

文章ってリズムだなーって常に思ってるんだけど、読んでみて気持ちが良くない文章って全然だめでしょって思うんだけど、句読点もほとんど俺が読み上げるとしたらここで息継ぎをするぜ、ってとこに入れてるんだけど、そういう入れ方って読み上げ方が違う人には苦しかったりするのかな。俺にとっては俺の文章はほぼ完璧なところに句読点入ってんだけどね。でリズムなんですよ。リズム。かもしれない、とか、だろうか、とか入れてるとリズムがだらけるんだよね。だらけたリズムが良いってときもあって、今日は割とそういう方向性で全然すぱすぱしてないんだけど、どうかな?

もう社会のすべてがどうでもいいよ、どうでもいいというのは嘘で、くだらないと感じられる。くだらない。てかここまで書いてつい最近も怒りベースに何か書いてるの思い出しました。ただ大っぴらに公開していないだけだった。あれわりといいと思うんで関わった友達に聞いて今度ここに載せるかも。

ここまで書いてきて思ったけどなんか怒りをスワイプ入力で表明できるわけないな。怒ったら自然に筆圧が濃くなる、キーボードを叩く指に力が入る、そういうところからしか怒れないと思う。こんな、どんなふうにタッチしても何も変わらなくて、いや滑らかにタップしないとうまく入力すらできない仕組みでは怒りも何もかも全部同じようにしか身体的には出力できないわけで、そういうのって普通にめちゃくちゃ影響するだろうなあ。


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