2022年1月27日 木曜日 つま先だけで

眠気を圧してアルバイトをして、ご飯を食べて今に至る。今日はそれだけだ。家からまだ一歩も出ていない。ちょっと躰がだるいし、なんだか熱があるような気もするけど、体温計が見当たらないので、そして熱があることが判るのが怖いので、熱を測らないでおいている。明日になっても体調が変わりなかったら考えよう、それまで様子を見よう、と暢気なことを思っている。


階段を昇るとき、前の人の足下を見てしまう。足下を見たいのではなく、なんとなく俯きながら階段を歩いてしまいがちなのだ。そうすると、階段の昇り方には二種類あることに気づく。

ひとつは、自分もそうなのだが、階段の一段に、つま先からかかとまで足を全部乗せるタイプ。エスカレーターに乗るときはみんなステップに足をおさめるだろう。それと同じだ。もうひとつは、つま先の部分だけを乗せるタイプ。そして左脚、右脚と交互につま先を乗せて昇っていく。

後者の昇り方を見ていると、踏み外すのではないか、と不安になる。経験的には、女性にこの昇り方が多いように思う。特にピンヒールを履いた人はほぼ確実につま先の部分だけを乗せている(ような気がする)。履いたことがないのでわからないのだが、ヒールではかかとまでステップに乗せた状態で階段を昇ることができないのだろうか。


頭は動くが躰が動かないので、寝っ転がって穂村弘の『現実入門』を読んでいた。文句なく面白いのだが、彼のほかのエッセイを読んでいる状態でこれを読むと、読むたびに許せないという気持ちがふつふつと沸き上がってくる。俺はお前を許さんぞ! となる。みんな同意してくれると思うけれど。未読の方のためにここでは詳細は書かないでおくが、穂村弘のエッセイを読んだことがなければ、『世界音痴』『もうおうちへかえりましょう』あたりを読んでからこれを読むことを勧めたい。でもやっぱり面白い。二重に許せない。


あまり家族揃ってご飯を食べるということをしない家なのだが、今日はたまたま弟以外が揃って夕飯を食べた。それとは関係なく今日は母の誕生日でもあり、母に「上のお兄さん(=俺)も真ん中のお兄さん(=弟)も何もしてくれないけど」と前置きをした上で、中学生の妹が8,000円くらいの、どこかのブランドのアイシャドウだかハンドクリームだかをくれた、と云っていた。俺は「ああ」というぼんやりした反応しか返せなかった。妹は性格が良いしお金の使い方が上手なのでそういう芸当ができるわけだが、その余裕に驚いて何をあげたのかすら曖昧になってしまった。「もう少し大人にならないと無理そうだ」とこぼしたら、「まだ?」と冗談めかして云われた。まだなんです。